高橋克彦 の 「炎立つ 参 空への炎」

★3.5 黄海の戦いの後から前九年の戦さまでを描く(後冷泉天皇の時代、後朱雀天皇の第一皇子。母は藤原道長の女の藤原嬉子、紫式部の娘大弐三位が乳母)。

頼義敗戦は兵と兵糧の不足と出羽守の源兼長の非協力にあると内裏に報告、抗議した。内裏は頼義の鎮守府将軍と陸奥守の留任を認め、出羽守に縁者の源斎頼を送った。だが援軍派遣はしなかった。多賀城や伊治城の兵2千程度では何もできず康平5年(1062年)を迎える。春で頼義12年の任期終了の年。頼義任官54歳から65歳の間。内裏は歌人で知られた高階経重を次の陸奥守に任じた。

安倍貞任34歳、藤原経清は33歳と