「炎立つ」の日記一覧

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高橋克彦 の 「炎立つ 伍 光彩楽土」

★3.3 最終の5巻目。3代秀衡の晩年から4代泰衡の奥州敗戦まで。物語は2代基衡を飛ばして3代秀衡52歳から始まる。 承安2年(1172年)4代泰衡は18歳。泰衡は次男ながら母が前の陸奥守・藤原基成の娘であり後継者となった。その基成も今は平泉に住む。長男の国衡は母が物部の末裔としている。秀衡の支配地は奥六郡の他、出羽、津軽、磐城を含み、2年前には平清盛の推薦で鎮守府将軍に任じられている。…

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高橋克彦 の 「炎立つ 四 冥き稲妻」

治暦3年(1067年)、結有は清丸を伴い清原武貞(武則の嫡子)の妻となっており、家貞(後の家衡)も生まれ衣川に住んでいる。前九年の後、源頼義は陸奥守を解任され伊予守となって島流し(伊予⇒筑紫宗像)の宗任らの監視役ともなっている。(あべ姓は福岡県、大分県に多いがいろんな伝承もありそう)。 16年後の英保3年(1083年)、62歳の清原貞衡(武貞)は胆沢の館で突然発熱し没した(本書では…

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高橋克彦 の 「炎立つ 参 空への炎」

★3.5 黄海の戦いの後から前九年の戦さまでを描く(後冷泉天皇の時代、後朱雀天皇の第一皇子。母は藤原道長の女の藤原嬉子、紫式部の娘大弐三位が乳母)。 頼義敗戦は兵と兵糧の不足と出羽守の源兼長の非協力にあると内裏に報告、抗議した。内裏は頼義の鎮守府将軍と陸奥守の留任を認め、出羽守に縁者の源斎頼を送った。だが援軍派遣はしなかった。多賀城や伊治城の兵2千程度では何もできず康平5年(1062年)を…

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高橋克彦 の 「炎立つ 弐 燃える北天」

★3.5  2巻目、源頼義の陸奥守赴任から黄海の戦いまでを描く。鬼切部の合戦の年、永承6年(1051年)、経清は登任の代理として多賀城の守りについたが、京からは登任と平繁成の出家が知らされ、乙那からは、源頼義かが陸奥守に就任したとの報せ。 翌年の春、頼義は3000の兵を率いて赴任した。30年前には頼義の父・源頼信が同じ陸奥守で赴任している。安倍頼良の策は恭順、貞任は1人厨川の柵に立て籠もっ…

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高橋克彦 の「炎立つ(ほむらたつ) 壱 北の埋み火」

★3.5 奥州藤原氏の初代・藤原清衡(きよひら)の父・経清の「前九年の役」の前哨戦である「鬼切部の戦い」までを描く。 物語は永承4年(1049年)国府の多賀城から陸奥守である61歳の藤原登任(のりとう)が、亘理(わたり)郡司の息子・藤原経清、伊具(いぐ)郡の郡司・平永衡(ながひら)を伴って、安倍頼良の次男・貞任の婚儀に出かける。安倍頼良(後の頼時)は奥六郡の統治を任されている俘囚の長で数…

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【読書】「君たちはどう生きるか」「白鳥とコウモリ」「炎立つ」「木漏れ日に泳ぐ魚」

 今日は最近読んだ本の紹介です。 (1)白鳥とコウモリ(東野圭吾・幻冬舎)   倉木和真の父、達郎は白石弁護士殺害事件の犯人として逮捕されたが、20年前に起こった金融業者殺害事件についても自分が真犯人だと告白した。達郎は動機についても詳しく弁明したが、和真はどうもふだんの父の行動パターンからして違和感を禁じ得ない。一方、白石弁護士の娘、美令も達郎が言っている父の言動がふだんの父と違うこと…