「海外生活」の日記一覧

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まほろば(素晴らしい場所)

今、手を伸ばしても届かないのに、 どうしてこんなに鮮やかに 思い出すのだろう。なぜ心が騒ぐのだろう。 人は、その地を「まほろば」と呼ぶ。 喩え、どれほどの悲境にあっても、 思い通りにいかない人生であっても、 心の底に一番深く眠っているもの、 それは生まれ育った故郷でもあるし、 強烈な愛が刻み込まれた、 「想い出の地」でもある。 コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の 一角にある、白い街トレモ・リ…

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タイ王国で暮らすということ。

初めての日本国外に出る日が近づいてきました。 行き先は次男が赴任しているタイ王国です。 長期滞在を希望した時に、次男に言われた「日本とは違うんだぞ。面倒見きれない。死んでも知らんぞ。」との言葉が今になり蘇ってきます。 海外旅行保険に入るように言われました。 日本を出たら、日本の健康保険証は使えません。 また、治安が悪くトラブルに巻き込まれる恐れがあります。 市街地の道…

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上海時代(3)

1才から8才の初めまでの上海暮らしだったからその間の曖昧な記憶で当時の上海を紹介します。 上海は国際都市だった。アヘン戦争なんかでシナは列強に侵略された結果、上海は列強により分割統治されていた。 各国は租界というなで自国の街を作った。 日本租界にわが家はあった。日本のクリニックや靴屋、家具店などがり日本人町そのものだった。かといって外国人がいないわけではない。近くにロシア人のレストラン…

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上海時代(2)

上海に渡ったのは1才の時だから記憶はない。 物心ついたのは恐らく4才くらいになってからだと思う。 まだ上海事変が終わったばかりで治安はよくなかった筈だ。 わが家は3階建てのコンクリート屋だった。父はタクシー会社(旭商会)を営んでいて、1階は運転手なんかの居場所で2階がわが家の住だった。3階は物置などで滅多には行かない。 タクシーの運転手は全員中国人。管理人は朝鮮人(当時は日本人に…

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外国で暮らすということ(164)

前回の最終章 彼女は笑顔で、それは此処ではなく#&$%&だと言う。 さて困った、肝心な単語の意味がわからない。 もう一度言って下さい、と尋ね繰り返してもらったが 僕の頭の中には存在していない単語だった。     ******** 娘達はキョトンとした顔で我々を眺めている。 何と言えばいいのか頭の中で考えていると、 若い女性がほらバスが来た、と左の方を 指差ししている。 …

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外国で暮らすということ(163)

前の日記から1ヶ月近く開いてしまった。 この1ヶ月、大きな問題が芽を出し成長し続けていた。 自分では冷静に対処してきたつもりだが、 今思い出してもパニックになりかけていたようだ。 とにかく、日記は最後まで続けたいので、 詳しい経緯はいずれ後ほど書くことにして、 日記は続けます。 前回の最終章 2年契約の家賃1400シンガポールドルの中には 家具の価格も入っていると言…

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外国で暮らすということ(162)

前回の最終章 兎に角こうして我々は予約しておいたホテルに タクシーで乗り込んだのだが、ここでもトラブルは 待ち受けていた。     *********** 「あなたからの予約は受けていない」 フロントの若い女性が冷たい目で僕を見ながら 冷たく言った。 「10日前にJALを通じて予約した」 たどたどしい英語で反発したが、受けていないと 言い張る。 押し問答を繰り返…

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外国で暮らすということ(161)

前回の最終章 イミグレーションを抜け、荷物を待っている時に 聞いてみた。 「飛行機から出た時、三人とも変な顔を していたけど、どうしたの?」    ******** 「だって、ここ変だよ、臭いし暑いし、景色が ウチの方と全然違うし、すっごく怖かったよ、 ほんとうにこんなところに引っ越すの?」とR 「腐ったような空気を嗅いだ途端、帰ろうかと 思ったわ、一体何なのこの…

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外国で暮らすということ(160)

前回の最終章 当時はまだ白黒テレビで、朝から夜まで番組 (と言っても小学校の学芸会程度だった)の合間に 「We are the Singaporean!」と言うCMが国旗を 背景に流され続けていた。     ******** 話の順番として、なぜシンガポールを移住地として 選んだかを書いておかないと、話の辻褄が合わなく なりそうだ。 実は最初に夢を見て居たのはスエー…

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外国で暮らすということ(159)

ごく最近趣味人の友人から、暫く日記を 見ていないがお元気ですか?とのメールを 頂き、慌てて確認したら、なるほど(158)を 書いたのが、なんと8月末だったと知り、 自分でも驚いている。 9月から10月にかけて忙しさの中で自分を 見失うような時間を過ごしていた。 そうした時間の中で日記について考えてもいた。 今回の日記はこれまでとは異なる視点で 書いてみた。 …

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外国で暮らすということ(157)

156を書いてから丁度4ヶ月が経った。 思い出すことに疲れて休んでしまった。 昨夜、ふぅ子にいい加減に終わらせたら、と 冷たく言われて、続けることにした。 なんとも情けない男だ。 とにかく続けてみる。 前回の最終章 2週間後、スペインに来て3度目の引っ越しが 始まった。 これが最後の引っ越しになるといいわね、 とふぅ子がつぶやいた。 僕もこのままスペインに腰を据えた…

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外国で暮らすということ(157)

前回の最終章 2週間後、スペインに来て3度目の引っ越しが始まった。 これが最後の引っ越しになるといいわね、と ふぅ子がつぶやいた。 僕もこのままスペインに腰を据えたいと改めて思った。     *********** 新しい住居で新しい暮らしが始まった。 新しい住居は日本ならマンションと呼ばれる 建物だが、スペインでマンシオンと言うと 大邸宅のことで、日本のマンションに当たる 建物はPiso…

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外国で暮らすということ(156)

前回の最終章 ドアーを開けて入ると右に大きな暖炉と 壁沿いに大きな化粧戸棚本棚が作りつけてある。 とにかく広い。ガランとした感じだ。 突き当たりに大きな窓とベランダに出るドアー。 左の壁に主寝室に入るドアーがあった。     ********** 寝室も広い、とても広い。 ベランダに面して大きな窓と両開きの フレンチウインドウ、なかなか洒落ていて、 明るい部屋だ ウオーク・イン・ワードローブ…

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外国で暮らすということ(155)

前回の最終章 それはまるで奇跡のように帰国の荷物の中でも ひび一つ入らず、今でも夏になると アイスクリームを乗せて楽しんでいる。     ********* 話題を変えよう。 アルテアからラ・ヌシアの3階建ての家に 越してきて、スペイン人の社会で人達と 交わることが始まった。 そこで本当のスペイン暮らしを楽しんで いた僕だが、この家で暮らし始めて1年半 経った頃から、僕の腰痛がぶり返してきた…

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外国で暮らすということ(154)

前回の最終章 話の筋がずれてしまった。 もう一度年金受給者の会に話を戻そう。 サンデーマーケットの話題はどうだろう・・     ********* スペインに来て最初に体験したサンデー・ マーケットは、最初に暮らしたビラホヨサの 街の中で、中世の面影を残しているオールド タウンの中だった。 オールドタウン独特の石畳の狭い道路の片側に、 屋台の列は家の壁に張り付くようにして並んでいた。 へぇ…

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外国で暮らすということ(153)

前回の最終章 毎回40人乗りのバスで、目的地は近郊の 特徴のある集落巡りが殆どだった。 我々が毎回参加したのは言うまでもない。     ********** 古い石造りの街並みを訪れ、古代ローマ帝国の 遺跡を見たり、500年も前に建てられた素朴な 教会を見たり、地元の古びたワイナリーで ワインの試飲をしたりした。 そして最後にその町の古くて由緒ある レストランでワイン付きのランチを楽しむ…

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外国で暮らすということ(152)

前回の最終章 彼女とは毎週土曜日の夕方、図書館内の カフェテラスで会い、スペイン語の おしゃべりをすることになった。 こうして友人知人の輪がみるみるうちに広がっていった。      ********* ビンゴ・クラブもその輪の中の一つだった。 毎週1回20人ほどのメンバーが会館の会議室で、 ビンゴゲームを楽しむのだが、この会のおかげで スペイン語の数字の聞き取りが上手になった。 スペイン…