感動の名作に涙した昭和生まれの89歳 Beauty of「ALWAYS 三丁目の夕日」を借用して「昭和哀傷歌」を再構成しました。 貧しくとも夢があった昭和が遠くなりました。
三代続く、昭和人ているよね。 親時代 戦前に生まれ、激動の時代を生き抜いたとね。 元気に生活してる方々多数存在。百年時代ね。 私時代 経済成長が急速で、子供の頃は公害でね。 五年がひと昔とね。一言では語れないね。 子時代 バブル全盛期の地上げか、新幹線通勤ね。 儲けた人と、シワ寄せと、極端な結果ね。 私は過去は如何でも好いけど、飽きてきたわ。 コロナ発生とか…
先日、僕が幼少の頃育った、下町の公園での出来事を日記に書きましたが、その公園での出来事ををもうひとつ。 昭和30年代、下町の公園は子供の遊び場で、紙芝居や、飴細工、ソースせんべい売り、型抜き屋などが子供相手の商売に来ていた。 そんな中。月島の公園には粘土屋と呼ばれる親父が来ていた。 粘土屋、それは真っ黒い泥の様な粘土と、紙に包まれた色の着いた粉を子供に売る。 買った子供はその粘土を自分が持っ…
馬家溝区協和街に引超す。 ここは2軒長屋、大家は白系ロシア人、大家のほかに個人タクシーを営んでいた。大家は一たん表に出たすぐ隣に住んでいた。そこにはタクシー運転手をした方(梅田さん夫婦)関さん(満鉄副機関手)が住んでいた.家の長屋の入口には、満蒙航空会社の夫妻が住んでいた。長屋の奥に満人の家族が住んでいた。満人の主人は私たちの面倒を見てくれた。お爺さん夫妻と主人家族、まだちいさな子供が居たこの子…
母は明治40年に生まれて大正、昭和、平成14年94歳で歿す。 母も明治生まれで、新潟県北、日本海近くの生まれです。祖父は学校の先生をしていて学校の官舎にいた時に母が生まれました。学校の先生は移動が多くて、移動の度に村人から酒宴に誘われたことが母の兄の手記から分かりました。元々酒が好きで小原庄助さんの様に、酒で身上潰したと言う話しを聞きました。 父親も学校の先生をしていて、医者の所へ養子に行くが…
最初に拍手を頂き有難うございます。お礼が言いそびれてこの場をお借りして御礼を申し上げます、 前回の続きですが、父は客車の電灯の掃除をしていた時に関東大震災にあったそうです、上野駅にいて上司に帰宅する事をお願いして、上野公園西郷隆盛の銅像の所まで行くと、すでに訪ね人の張り紙がしていてあちこちに火災の火の手が上がっていたそうです。列車は運休していて、歩くしか無く西に向かい横浜で自警団に捕まり、国鉄…
この日記を書く目的は私たち昭和時代に育ち、戦争の道に進められた事と惨めな敗戦の体験を、当時の歴史に合わせながら書いていきたい。 何となく、今も大正時代から昭和の時代の流れに似た感じがしてならない。 先ず昭和時代の生活はどうであったか 自分がまだ生まれていないころのこと、事から始めなければ成らない。 前々回は地主が放題な年貢の取り立てを行い、長年にわたり百姓一揆が行われた。団体交渉をするために農…