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poota

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投馬国について

このコミュの拙稿「倭人伝に惟う」で、らんまるさんから「投馬国」について要望があったので、2022年11月の拙稿日記「投馬国と狗奴国について」を修正して紹介する。 (狗奴国は省略) 倭人伝の行程記事では、末盧国から500里で伊都国に到り、東南して奴国に至るには1...

おさる910

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魏志倭人伝の一里の長さは???

別のトビの SIRIUS2016さんの記載に『唐代の1里の長さは410m~670mと諸説ありますが』 と書かれてありました。 ほかの資料でも同様の記載をよく見かけます。ですが私はどうも釈然としません。 魏志倭人伝には、帯方郡から狗邪韓国までが7千里、狗邪韓国から末...

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発見! 陳寿が作った里程書式

倭人伝の里程問題では「水行二十日」「水行十日、陸行一月」「里数から日数への変化」の3点が悩みの種としてよく取り上げられています。しかし、陳寿は読者がこれらの解釈を悩むような文章にはしていませんでした。今回は倭人伝の里程解析の最終章として、陳寿が作った里程書式の真...

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古田説の矛盾点を解消する道筋

 私の倭人伝解読挑戦の原点は古田説にあります。さらに、そのやる気に火をつけたのが邦光史郎氏の『邪馬台国の旅』で、邦光氏は概略次のように記しています。 ◎「古田説はまことに論理的かつ明快であの矛盾の多い『倭人伝』を見事に解釈し てみせてくれる。今後、古田説を乗り越え...

SIRIUS2016

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『投馬国』を巡る空想

最初に、『投馬国』について説明しておきたいと思います。 『投馬国』とは、魏志倭人伝に現れる当時の倭のクニの一つです。魏志倭人伝の邪馬台国への行程記事は、『不彌國』から「南至投馬國水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸 南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅺ - 興福寺 阿修羅像 -

最後は、この一連の話題の冒頭にも出て来た、私が大好きな興福寺の阿修羅像にまつわる話です。 奈良・興福寺の阿修羅像は、天平6年(734年)に光明皇后の発願によって造られた脱活乾漆造りの三面六臂の像で、天平彫刻の傑作であり国宝に指定されています。 阿修羅像は、度重...

SIRIUS2016

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『邪馬台国』の残存地名

魏志倭人伝に出て来る倭国のさまざまな国名を、現代の九州や畿内の地名に当てはめるという作業を行っている研究者はたくさんいます。別にこのような作業をしても邪馬臺国の位置は分かりませんし、現代の類似地名から邪馬臺国の位置を確定するなどは、本末転倒と言わざるを得ません。...

十四郎

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日本の古代とは ?

 偶々本箱から出てきて、読み始めました。   『日本に古代はあったのか』 井上章一     (角川選書) 2008.7 (p307)  たぶんかなり以前に手に取ったはいいが、よく分らなくて積読されていたらしい。  今なら少しは手ごたえがあるかと思い、買い物のお...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅹ - 広隆寺 弥勒菩薩半跏思惟像 -

当シリーズの話題は週一回のペースで作成していましたが、JALの6,600円均一のチケットを利用して九州に行っていたので、一週間隔が空きました。一週遅れの今回の話題は、広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像にまつわるものです。 広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像は、『宝冠弥勒』とも...

やす

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神功皇后制定の戦争法規が明治の時代に生かされたケース

日本では、約2千年前から、戦争において、財を貪ったり、暴力で婦女を犯すのを許してはならぬ、自ら降参する者を殺してはならぬ、といい、現代でもなかなかままならない、戦争法規を神功皇后が定めていた(日本書記全現代語訳 上 190頁)ということは私が何度も紹介しています...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅸ - 飛鳥寺 銅造釈迦如来坐像(飛鳥大仏) -

飛鳥寺に安置されている銅造釈迦如来坐像(以下、飛鳥大仏)は、現存する日本最古の仏像とも言われながら、重要文化財指定のみで国宝に指定されていません。その理由は、この像は鎌倉時代に火災によって損傷し、大部分が鎌倉時代や江戸時代に補修されており、オリジナル部分は眼の周...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅷ - 根津美術館 観心寺伝来戊午年光背 -

東京青山にある根津美術館の所蔵品の中に、下記内容の造像銘のある光背があります。  戊午年十二月為命過治  伊之沙古而其妻名汗麻  尾古敬造弥陀仏像以  此功徳願過住其夫  及以七世父母生々世々恒生  浄土乃至法界衆生  悉同比願耳 この『戊午年』は、斉明天皇4年...

SIRIUS2016

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古仏の話 番外編 - 法隆寺夢殿 救世観音像 -

今回の話題は、前回までの話題と少々主旨が異なりますので、『番外編』とさせていただきました。 法隆寺夢殿の救世観音像は、629年~655年に像立された像高178.8cmの国宝の仏像です。 この仏像はかつて、誰もその姿を見たことがないという千古の絶対秘仏でした。岡...

十四郎

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官営工房と公麻呂

 Wikipediaによると公麻呂は、  百済は滅亡(660)後、白村江の惨敗(663)に続いて、百済の高級官僚・国骨富(徳率)は日本に亡命・帰化した。  その孫が公麻呂であり、最高水準の天平仏文化を完成したと云えます。  没年は宝亀5年(774)とあり、生年は不...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅶ - 深大寺 釈迦如来倚像 -

今回の話題は、以前に私が挙げた話題『古仏の話Ⅲ - 新薬師寺 香薬師像(薬師如来立像)の右手 -』の中で触れました、『白鳳三仏』の一つである深大寺の釈迦如来倚像にまつわる話です。 深大寺は東京都調布市にある天平5年(733年)開基と伝えられる古刹で、門前に軒を...

やす

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65年前の広隆寺の弥勒菩薩像の思い出。変な私

SIRIUSUさんの国宝等のトピを読みながら、思い出したことがあります。 私は、何かに夢中になると、他のことが全く分からなくなるという欠点があります。 高校の修学旅行の時でした、広隆寺の弥勒菩薩の前に立った時に、凍り付いてしまったのです。友人に何している...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅵ - 野中寺 弥勒菩薩半跏像 -

大阪府羽曳野市にある野中寺は、聖徳太子が建立した48寺院の一つとされ、開基は蘇我馬子と伝えられています。ここにある弥勒菩薩半跏像(重要文化財)は、像高わずか18.5cmの小金銅仏ですが、白鳳時代の劈頭を飾る貴重な基準作例として、また飛鳥白鳳期の半跏思惟弥勒像の造...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅳ - 東大寺法華堂 不空羂索観音像① -

東大寺法華堂(三月堂)の不空羂索観音像は、長承3年(1134年)に書かれた『東大寺要録』の記述に依れば、天平5年(733年)に建てられた法華堂の本尊として安置された、像高362cmの三目六臂の巨大な脱活乾漆造りの彫像で、天平彫刻の最高傑作とされる国宝の仏像です。...

SIRIUS2016

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古仏の話Ⅴ - 東大寺法華堂 不空羂索観音像② 掌中の珠 -

前回の話題でご紹介した東大寺法華堂の不空羂索観音像に関するもう一つの話題です。 不空羂索観音像の合掌する掌の間には、直径3cmほどの水晶の珠が挟み込まれています。この水晶宝珠は、美術史家の川瀬由照氏が『国宝の美』(2009年8月23日)の中で、「宝珠は後に嵌めら...

やす

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アイヌを先住民族とする虚偽の法律の運命や如何に。侵略国ロシアに手を貸すな。

 私は、過去の日記でアクセスが200以上あった日記で、今日現在の問題でもあり、皆様に読み直していただきたい日記を再現していこうと思っています。  その始め、です。  私は2021年5月にアイヌを先住民族だとする説は、虚偽であるとする。日記を書きました(アクセス数3...