長年ひとを体験してきて、 感想を正直に述べると。 人というのは、同じような感じ方や考え方をする 似たような人がいっぱいいるということ。 個性と言っても、特別に変わった人はいない、という実感です。 つまり、人に個性はないのではないか。 また、私や自分や自我というものも、 確かなものがあるとは思えない。 従って、自己実現は幻想ではないか…
生と死、これは人間誰しもが抱くであろうテーマである。不老不死は、人間の古来からの願いであったかもしれない。 しかし、人間は生まれてくれば、必ず死ぬ。それだけは確かなことである。 そうだとすれば、どのように生き、どのように死を迎えるかが問われるであろう。 wakohは、現在92歳4ヵ月である。また先日誕生日を迎えた家内は、ちょうど89歳に達した。 一方、友人・知己・親族な…
生と死は、人間の根本的問題である。人は、古来「不老不死」を願ってきた。だが、それはあり得ない。確実なのは、人は生まれてくれば、いつかは必ず死ぬということである。 「長生きしたい」とは、恐らく大抵の人の願いではあろう。だが、百歳以上にまで長生きしたいと望むのは、果たしてどれくらいいるのだろうか。 それにかかわる意識調査がある。「日本ホスピス・緩和ケア研究振興財団」の発表の要旨をみた。 …
この趣味人倶楽部での日記の中で、wakohは存外自分のことをオープンにしているきらいがある。 自分との関係で、近親・友人・知己のことなどに言及することもある。 子どもたちからは、オープンもよいのだが、余りにもあけっぴろげだとの苦情に接することもある。 確かに、世の中にはいろいろな人がいるものだ。もちろん善意の方も多い。だが、他方には、隙あるとみれば付け込んでくるような人のいるのも事…
※関心のある方だけお読みください。 「今でしょ!」というフレーズが、かつて一時期、もてはやされた。 今と言うとき、たとえそれが無意識ながらにでも念頭に浮かぶのは「死」である。今、すなわち、生と死とは最大の矛盾の関係においてあり、不条理である。それがゆえに、常人にとって死は受け入れ難いものとしてある。 「今」をどう捉えるか、佛教思想から読み解いてみたい。 目下、Eテレ、『こ…
漠然と生と死を思うともなく、思い浮かべているうちに、タイトルのようなことが思い浮かんできた。 wakohは、あと1週間足らずで、91歳を迎えんとしている。昨年6月9日卒寿に達した。 長い道のりだったような気もする一方、あっという間の90年間だったように感じる時もある。見方、立ち位置によって変わってくるのであろう。 不老不死は、人間誰もの願いかも知れない。そして、生物としての人間としては、…
3月28日(月曜日)曇り時々晴れ風強し 冷たい風が頬を撫でる。大ちゃんは震えている。今日は散歩は無理だね、と言って家の中へ入った。みゃ~と猫なで声を出した。駄目よ! それからは読書三昧、始めたばかりのウォーキングも今日は中止。根性無し!と自分を罵る。 加齢と共に寒さに対する抵抗力が無くなった。太ももから膝にかけて冷たさが残る。スパッツをはいてその上にズボンをはいて丁度良い。車を運転するときは…
前の日記の内容から、今回の病に罹ったことに、 自分が思い悩み苦しんでいるのだろうと、誤解を与えて しまったかもしれないと申し訳なく思う。 じっさいは、それとはかなり離れた状態にいるのが、 本当のところ。 思い詰めることをテーマに書けば、そのように聞こえてしまうのは、 当然だったかもしれない。 精密検査を経て、主治医の先生から食道がんの宣告を受け、 傍で聞いていた妻はかなり動揺した様子だった。 …
海中にいて、蒼く染まった底から多数の泡が立ち昇るのを眺めていた。その泡が全体として左に旋回しているようだった。いま北半球にいるのかもしれないな。台風と同じでいいのかな。海の中では上昇する流れは同じになるのかな‥‥ そこでふとベッドの上で目覚めた。伊那中央病院の外科病棟の5F部屋。窓からは、雪をかぶった中央アルプスの景観が望める。 きょうで入院して3日目、連日の抗がん剤点滴が続いている。食道が…