おふくろの味?と聞かれて、旨いもの・不味いもの・懐かしい味と分かれる。 ここでは旨いものを採り上げる。それは表題の「五目飯」である。「五目鮨」ではない。酢は入っていない。先ず五目(椎茸・レンコン・油揚げ・ニンジン・タケノコ等)を煮詰めて置く、このときの味付けが絶妙なんである。それを炊きたてのご飯とオヒツに移してシャモジでかき混ぜ合わせる。 コレを、温かいうちに食す。別に冷めても充分美味しい。 コ…
4月になり夢と希望に満ち高校生になった私は、自転車通学になりました。ピカピカの緑色のお供は快適に走れました。途中デコボコ道が何度も繰り返されやっと辿り着いた学校では、もうはらぺこです。お弁当の時間が待ち遠しく思いました。新しいお友達と机を寄せ合って食べる昼食は楽しみでした。 でもだんだん、悲しくなってしくなって来ました。パッとお弁当箱の蓋を開けると、 そこには、きんぴらごぼう、筑前煮、牛肉の…
みんな美味しかったな🤔 調理師で器用なこともあって、言えばなんでも作ってくれました。ただ、舌が肥えたせいか味にうるさいです😅
おふくろの味で飛び切り美味しかったのはカレーや SBのカレー缶のカレー粉を使い作ってた ほう一缶何の缶だった分からないが SBのカレー缶と似た大きさだったが 草色だったか色付きの缶から何かを入れて作ってたと思う 玉ねぎは飴色になるまで炒めていたが さて円ドル相場 下に書いてるのは昨年9月25日に投稿した文です 昨日書いたドル対円の相場の事を少し書き足しておこうと思う 今年の11月13日の週か…
それは鯨肉の缶詰です。 中学校には給食が無かった。 それで弁当となったが、父母は働いていた。 母は、4:00に出勤していた。 とても弁当を作る暇がないので、オカズは鯨肉の缶詰となった。 大好物であったが、毎日では嫌になった。 3年間は鯨の缶詰で辛抱した。 米飯、缶詰、缶切り、これが昼の全て(おふくろの味)である。
父は市役所勤務の公務員、土曜日の午後と日曜日は実家で農業をしていて、米、野菜は実家から調達していたし、市営住宅の土地で野菜も作っていた。 母は主婦の傍ら街の洋品店から注文を受け洋裁でそれなり収入を得ていた。 市営住宅に住んでいるとき、小学校同級生の家が肉屋で毎週、店員のあんちゃん注文取りに来ていた。 母は100グラム55円の牛肉を100グラムを買い、1週おきに肉じゃがとカレーライスを作ってくれて…
覚えてないです。 子供頃は祖母作っていました。農家なので皆朝早くから夜遅くまで働いていました。 自分も、中学卒業して、東京に働きに(東京オリンピック)の年です。離れて暮らしていましたから、覚えてないです。 田舎は、広島県世羅町で、高校駅伝が強い世羅高の近くです。 自分も長男なので子供時代は農家の手伝をしていました。 自分も昨年後期高齢者になりました。
母の得意料理は何だったのかと考える 料理趣味だった事は 確かだったケド 母や祖母に時代は工夫や興味が足りなかったように思う テレビ番組での料理番組は仕事をほって見ていた 土井先生や村上先生と辻先生の分とかイタリア人の生野菜を使うイタリア料理も見て勉強をしていた 透明な鍋や釜にも凄く興味を持ってて あんなので作ったら 美味しく出来るって よく言ってたが 何かを作る時は昆布と煮干しの出汁で砂糖…
私は、母が鍋一杯に作る🍵になが 大好きでした。 秋に菜っ葉を塩漬けにし、冬 野菜がない時期に、菜っ葉の塩だし✨して 大根や打豆、ほしこ入れて 味噌味で煮る。 冷たいニナに 湯を入れて食べると美味しい 野菜不足にならない。 春の神社祭りには 餅草を積み、よもぎ団子を作ってくれました。 美味しかったです。 たまに、よもぎ団子買って食べますが 母が作った味とは、違います😥
92歳迄の長寿全うして他界した母、居なく成り知る母の愛 生前は随分心配を掛けました(>_<)私の結婚は波乱万丈でした そんな中で里帰りした私に作って呉れた一品、物の無い 貧乏生活の中で、母の愛を感じた一品は「ロールキャベツ」 其れも中身の無い?只、鶏肉が一切れ入っただけです。 其の「ロールキャベツ」を、酢醤油で食べる、、、この味は 生涯忘れません、母曰く「幾らでも食べれるでしょう」って 本当に…
もし、亡くなった母に会えて、「何を食べたいの?」と聞かれたら、私は真っ先に 「すいとん!」と答えるだろう。私は、奥州の町で生まれ、母が39歳時の最後の子供だった。父は靴職人で、姉夫婦、兄達、甥や姪、職人さん、ねえやさん、通いの店員さんと、15人の大家族の商家で育った。食事は3交代で、母は何時寝て何時起きてご飯を作っていたのか…幼い頃記憶にあるのは、竈で腰を屈め、皆の食事を作っている姿です。「すい…