「日本書紀」の日記一覧

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虎落笛 激しき夜は、、日々、一歌60/365

日々、一歌60/365 虎落笛 激しき夜は 黄泉神 狂おしき夜 悲しみの夜 虎落笛でふた夜。虎落笛の「もがり」と、音が通じる古代葬礼殯 ・もがりは関係がある?という連想で連夜、、、 刻まれた少女の体は食物に変わる祭儀と、保食神を殺す月読神、保食神を殺す須佐之男命 https://frcodon.yoka-yoka.jp/e2341359.html 画/青木繁「黄泉比良坂」(よもつひらさか)

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吾妻はや 妻問ふ神の、、日々、一歌34/365

吾妻はや 妻問ふ神の 碓日嶺の 励ます駒に 吹ぶく粉雪 進。碓氷のタケルの命に、、、 甲斐より北武蔵から上野をめぐり西碓日坂にいたる。時に日本武尊つねに弟橘姫を顧みる情あり。故に碓日嶺に登り東南を望み三嘆して曰く 吾嬬者耶『日本書紀 』 日々、一歌。思いつき1月15からはじめた。元日からの14歌のうち二首を回収 「黒田孝高と千利休」ご報告 https://frcodon.yoka-yoka.…

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飯玉神社☆今更ながらに知った故郷の神社

なんとなく思いついて、我が小学校の道を隔てて隣接している神社について調べました。 その頃と言うか、私が故郷を出るまで(三十路前)その神社は、神主さんのいない神社だったのと、樹木が立派に育ったためか鬱蒼とした陽の当たらない、昼間もちょっと行けそうにない神社でした。夜なんてとんでもない。 隣家の同級生のお姉さんから聞いた話では、●●参りの女人を見たという実話があるのですが、さてさて。 …

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鶺鴒(セキレイ)が居なかったら日本は無かった!・・・神話の話ですが・・・。

「日本書紀」第四段一書(五)に「鳥に学ぶ」と言う記述が有る。  一書曰、陰神先唱曰、美哉、善少男。時以陰神先言故、爲不祥、更復改巡。 則陽神先唱曰、美哉、善少女。遂將合交。而不知其術。 時有鶺鴒、飛來搖其首尾。二神見而學之、卽得交道。  まあ、詳しく知りたい人は、現代語訳を調べれば分りますが、要するに、伊邪那岐(イザナギ)、伊邪那美(イザナミ)の二神が出逢い、お互いに意気投合し…

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嘘っぱちの「建国記念の日」(旧紀元節)は祝えない

「建国記念の日」は、初代天皇とされる神武天皇が、「辛酉(かのととり)年春正月」の一日に即位したという『日本書紀』の記述を太陽暦に換算したものです。 それは紀元前660年2月11日にあたりますが、そのころの日本はまだ縄文時代で文字や暦も存在していませんでした。 そんな昔のことが8世紀半ば(奈良時代)に編纂された『日本書紀』にあたかも事実のように記録されていること自体がまず学問的に信用ならな…

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倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)と箸墓古墳の考察

『古事記』では「夜麻登登母母曽毘売(やまととももそびめ)」と表記される。 日本書紀によると、初代神武天皇の後8代の天皇の事績は記録されていないので、欠史8代は架空の天皇とする説もある。 事績がないからと言って架空とするのも如何かと思う。それは、現在があるのは過去があってそれが続いてきた歴史があるからである。 第10代崇神天皇から事績の記録は始まる。 第7代孝霊天皇の次は孝元天皇となるが、…

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古代史研究会松戸[葛飾塾] 崇神天皇[第10代]はなぜ大物主神のみを奉祭りしたのかー権力者の交代と宗教改革ー

29日松戸市民会館で開催された古代史研究会松戸[葛飾塾]に参加してきました。 専任講師の小嶋秋彦先生が骨折入院の為古代史研究会の松戸櫛田幸弘氏よりお話がありました。 テーマは「崇神天皇[第10代]はなぜ大物主神のみを奉祭りしたのかー権力者の交代と宗教改革ー」でその背景説明をうまくまとめておられていました。  1.古事記の崇神天皇と「神の祭祀」  2.日本書紀の崇神天皇 小嶋先生骨折の手術を…

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サイカチは刃褐(さいかち) -サイカチの語源について-

サイカチは刃褐(さいかち) -サイカチの語源について-  『動物のフォークロア-「遠野物語」と動物』(遠野物語研究所 2002年)という本を読んでいて、いくつか興味深い記述に出会った。  そのなかのひとつが、「サイというのは刃物です。」(第2講 日本人の動物観-その構図と民俗 野本寛一)というくだりだった。では「カチ」とは何か。『岩波古語辞典』を引いたら「濃い紺色」とあった。サイカチは「濃…

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臨済宗南禅寺派「達磨寺」

汗ぬぐうふ太子ゆかりの達磨寺か・・・幸山師 臨済宗南禅寺派「達磨寺」 推古21年(613)に記される日本書紀に、聖徳太子が片岡で道に臥せっている飢人を見つけ、食べ物と飲み水、太子が来ていた衣を与え助けた。飢人は亡くなり、太子が墓をつくって埋葬し、「あの飢人は聖なる人だ」と言うので見て見ると、埋葬していたはずの遺体が消え、太子が与えた衣が棺の上に畳んで置かれていた。その後、太子信仰によって、この伝…

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因幡のワニはサメなのか 稲作の伝播からワニを考える 前編

因幡のワニはサメなのか 稲作の伝播からワニを考える  前編 ワニがワニではいけないか  さきに「因幡の兎は白いのか」について調べていたときに、途中からワニのことが気になりだしていた。というのも、いくつかのテキストや文献で素兎のことを調べていくと、その話に登場するワニというのはサメのことだと説明しているものが多いからだ。どうしてワニがワニであってはいけないのか。『古事記』以外に『日本書紀』…

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生駒市の史跡「長髄彦本拠地」

長髄彦(ながすねひこ)本拠(生駒市上町) 登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ) 登美は邑名で、長髄は屋号のようです。 日本神話に登場する人物で神武天皇に抵抗した大和豪族の長で、神武東征の戦いで敗れ殺された。日本書紀では自己の正当性を主張するため互いに神璽を示しあったが、それでも長髄彦が戦い続けたため饒速日命の手によって殺されたとあるが、いくつかの説があるようだ。鳥見(とみ)という地名が神武天…

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歴史学講座「創世」南越谷塾;神武東征に登場する「ヤタガラス」とは?

南越谷公民館で行われた歴史学講座「創世」南越谷塾;神武東征に登場する「ヤタガラス」とは?に参加してきました。 11月12日松戸塾と同じで二度目の講座でした、よく理解できました。 https://smcb.jp/diaries/8387314 「ヤタガラス(八咫烏)」は日本書紀、古事記等の古史に登場する3本足のカラスです。 日本サッカー協会のシンボルマークでもあります。 日本書紀、古事記に記載…

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 鹿屋 吾平山上陵

しばらく神話の里を旅していました。 現地の読売新聞に文化欄に「日本書紀 行」の記事見つけましたので紹介しておきます。 神武天皇の父親(ウガヤフキアエズ)の墓吾平山上陵の記事でした。 吾平山上陵は日本書紀にも記載されている墓で、宮崎と鹿児島にあるようですね。 御陵は鹿児島の「吾平山上陵」で宮崎は鵜戸御陵墓参考地(日向の吾平山上陵)となっているようです。 明治の時代宮崎と鹿児島で本家争いがあったよう…

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日本書紀を訪ねて「歴史編<一> 磐井の乱」岩戸山古墳(福岡県八女市)

13日の日本書紀を訪ねて「歴史編<一>」は、磐井の乱から「岩戸山古墳」(福岡県八女市)を訪ねます。6世紀前半の継体天皇の時代、ヤマト王権の朝鮮半島出兵に抵抗した大規模な反乱が起こりました。日本書紀が首謀者と伝える筑紫国造磐井は北部九州に勢力を誇った大豪族で、福岡県八女市の岩戸山古墳がその墓と目されています。現在は鎮守の森となっている古墳と、隣接した資料館に展示されている多彩な石造物を紹介します=…

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日本書紀を訪ねて「伝説編<五>雄略天皇」埼玉・行田

29日の日本書紀を訪ねて「伝説編<五>雄略天皇」は埼玉県行田市を訪ねます。稲荷山古墳周辺の風景をご覧ください=(許可を得て小型無人機から)東京本社編集委員・鈴木竜三撮影 2020年9月29日公開 https://www.yomiuri.co.jp/stream/article/16124/ 雄略天皇(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%…

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日本書紀を訪ねて「伝説編<四>衣通郎姫」

8日の日本書紀を訪ねて「伝説編<四>衣通郎姫」は茨城県の筑波山を訪ねます。山の中腹にある筑波山神社や山中にある「夫女ヶ石」などをご覧ください=東京本社編集委員 鈴木竜三撮影 2020年9月8日公開 https://www.yomiuri.co.jp/stream/47/ 二年前筑波山に登った時「歌垣」の話を聞いたがその時は気にしていなかったが繋がりました。 「歌垣」は古来から伝わる風習なのです…