「松島」の日記一覧

会員以外にも公開

あぁーみやぎ県、コロナで大騒ぎの宮城県。松島にもハイ、コロナが

近所の小学校と保育所に、コロナがやってきた。 小学校と保育所が閉鎖なってしまった・・。大変だ、大変だで大騒ぎ。園児が、小学生が感染中。 来る電話はみんな中止の御知らせばかり・・・お寺も神社も町内会も…みんな中止・・・。 そんな中、大相撲も甲子園も楽天も・・テレビで観戦中。 頑張れ・・育英、楽天、照ノ富士、十両の炎鵬、狙いは優勝の二文字だけだ。 29日の満月は雨模様だ・・・。残念。あすのNHK「…

会員以外にも公開

松島の朝日撮り納め 2021-3-5

昨年の11月から約半年間‥古里松島の朝日を追いかけた。 毎月満月を追いかけているが、旭日もそこそこいい眺めが期待できる。 朝の最低気温もプラスになった今朝が最後の撮影である。期待通りにはいかない出来栄えだったが、一期一会といってまた、冬に期待したい。 梅が香や 里の愉しみ 風笑う

会員以外にも公開

初積雪の松島にまさか?

今週は、火曜日から連続積雪が続く松島。。。。 いつになく雪と松との白松という風景に恵まれている。 早速カメラを持参で風景をと思ったその時、早朝から電話が鳴り響いた。 妹が脳梗塞で救急車で運ばれたというのである。 旦那さんはじめ、家族も面会謝絶だそうで、何もできない。 今年の年末はコロナでもうたくさんと思っていたやさきの出来事である。 「まさか・・・」という坂がやってきてしまった。 来週には経過…

会員以外にも公開

冬の訪れ・「明日から師走・・・・」

久方ぶりで、松島湾内の寒風沢島を訪ねた・・・。 東日本大震災で被災した島は、家々が移転し、道路の整備が続く未だに復興10目にして、戻っていない。 東京に結社を置く俳句会から、嶋の案内を依頼された。 この島は仙台藩最初の様式軍艦を幕末に製造した島である。 仙台藩の公証遊郭が、塩竈と石巻におかれたがその二つの湊を結ぶ基地が寒風沢だったので、多くの遊女を抱えた色町でもあった。 島の「しばり地蔵」とは…

会員以外にも公開

小春日和って、いつでしょうか? 松島の国宝瑞巌寺の晩秋。

晩秋で温かい週末は、松島に久しぶりの観光客が戻ってきた。 国宝瑞巌寺で見学会を開催した。 学芸課長さんのジキジキの説明を聞くことが出来た。 折しも紅葉が綺麗な松島は、大変な混雑である。普段では見学できない場所にも恵まれた。20名の参加者ではもったいない見学会となった。松島紅葉の混雑は月末まで続く。 新たに解った事は、あの東日本大震災の時、瑞巌寺は大改修中で、5万枚の瓦を落としていたので本堂が無…

会員以外にも公開

お蔭様で初めて勤めました。大学の臨時講師を・・・・・。

私にとってこれほど名誉なことはない。何の資格もない、地位もない小生が、大学から依頼されての臨時講師・「松島の地域学」について、大学の先生方とゼミ生を案内した。 地元に埋もれている歴史と文化を有効活用するための、解り易い案内役が、課せられた使命である。 概要は、「奥の細道」に別記している。 興味のある方は除いてみて下さい。 5年前から、自費出版の準備を重ねている。あともう少しで完成であるが・・…

会員以外にも公開

東北秋の1人旅~1日目宮城県松島

東北6日間1人の旅 沢山写真を撮影して来ました 楽しかったわ📷 少しずつ写真を記録します 一生の記憶に残したいと思います。 1日目宮城県「松島」 旅の中で一番歩く歩数が多かった日でした‼️ 島中1日掛けてお昼も食べずに歩き回りました。 円通院、瑞巖寺、五大堂、福浦橋、雄島渡月橋 10月17日日新しくOPENした松島離宮 島の端から端まで歩き楽しい19.4Kmでした‼️

会員以外にも公開

過日10月3日の行事が、地元紙「河北朝刊」10-28(水)に掲載。

秋の仕業にしては、ちょっと遅くなったが、10-3(土)観月灯籠流しが、10-28(水)地元紙・「河北新報朝刊」に掲載された。 コロナ感染記事で、なにもかも文化面は中止が相継いでいる。 もうすぐここ2-3日が満月の時期である。好天が期待できる。満月風情を愉しんでください。 宮城版17面に記事が載っています。

会員以外にも公開

あ~松島や松島や‥‥!日本三景松島の絶景を楽しみ尽くす「松島 一の坊」の極上ステイ(20,10/2~10/2)

先の拙日記・界つがるをチェックアウトした後は、大人の休日パス利用、新幹線で新青森から仙台まで一気に南下、仙石線で松島まで足を伸ばしました。 同行した友人夫婦がけっこうお酒の好きなご夫婦で、どこかいい宿がな~い?と相談をうけ、私が「松島一の坊がいいかも?」と提案したのです。 というのも以前、遠刈田温泉ゆと森倶楽部と、作並温泉ゆづくしsalon一の坊に宿泊した時に、一の坊グループのお宿はオールイン…

会員以外にも公開

令和2年の仲秋の名月は、10月2日でした。テレビ局から取材がありました。

曇りの空模様・・・・。果たして月の出は、17:50東の空を見つめる。 雄島でいつもポーズをとる。近くに埼玉からやってきた夫婦ずれが、カメラをのぞき込んできた。 同じ撮影でも、スマホと私のデジカメの映りがなぜこんなに違うのですか? これに答えながら、となりではテレビ局のスタッフが、カメラを回している。 動画とデジカメは違うので、曇りの夜景は、苦労している。 6:30には移動して、西行戻しへ移動・……

会員以外にも公開

いよいよ仲秋の名月が愉しみで・・・・

何食わぬ ウイルス月待つ 嶋勝る 松島芭蕉 雲間より 月出で照らす 憂き世の夜 松島芭蕉 月待ちて 翁を偲ぶ 浪の舟  松島芭蕉 拙い小生の発句ですが、来る10-2-3(金)、(土)が愉しみです。当日は地元・テレビ局も撮影に来ます。新聞社も船上で取材の予定です。 船には募集した45名が乗船です。コロナ感染予防のため定員が半数となりました。テーブルにはもちろん観月御膳と地酒が並びます。 俳句の表…

会員以外にも公開

地元紙「河北新報」に本名で掲載になりました。7-8朝刊16面

芭蕉も歩いた自宅前の気になる旧街道の宿場町。 東海道の百里目は、四日市の一里塚である。 これから、我が町・松島も「日本三景」より「日本橋より百里」を発信したい・・・・松島芭蕉がご案内します。 過日6-26日に建てた一里塚標柱が新聞で報道されました。 日本橋より百里目です・・・。 地域の皆さんから暖かい寄付金が寄せられたのです。 感謝・感謝・感謝です・・・「冥途の土産」にぴったりとなりました記…

会員以外にも公開

続・日本橋より百里の一里塚 IN 松島町高城

江戸時代に、大阪城を亡ぼすにあたり、京都・三条大橋まで中山道、東海道を経て街道を整備した事に由来する。 識字率も低かった当時、字が読めなくとも、誰でも京に行く道が解るようにと一里ごとに道の両側に塚を築いたのです。雨が降ろうが雪が降ろうが、旅人が急に用を足す隠れ場所であったかもしれない。 参勤交代は、江戸より93里を7泊8日で仙台だった。 隔年ごとだから、1年間は江戸屋敷で各藩主が過ごした。 藩…

会員以外にも公開

私のつぶやき「先輩への一言」

若輩ながら、郷土史研究会の編集者として、先輩への一言 謹啓 過日は、貴殿のご希望にかなわず、失礼しました。 23日締め切りの「300号通巻」の本会機関誌の最終校正に追われております。 従いまして、他人の原稿に手を入れる難しさに、いつもながら躊躇しております。 以下に、個人の意見を述べましたので、参考になれば御含みおきください。 先学の先輩に申し上げる話ではないと存じますが、「三方よし」の諺を肝…

会員以外にも公開

明日は結婚記念日、金婚式まであと5年。今朝、投稿記事が新聞に掲載された。

1975年4月17日、塩竈神社で結婚式を挙げた。45年前の出来事、三分咲の桜の境内、巫女さんが雅楽を奏でて、前途を祝っていただいた。 未だ初孫一人という爺である。家内は孫へ逢いに那須町まで出かけるという。  それはそうと、16日今朝の地元紙「声の交差点」の欄に、「住めば都」という投書欄に小生の掲載記事が載った。 20年間、休まず月松島を撮影した事、大正11年に松島を訪ねた「アインシュタインの名…