さんが書いた連載知ることの地平の日記一覧

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めずらしい書というべき ~脳の闇~

外見は軽めの新潮新書の小さな本だが、内容は重くて複雑で深いといっていいと思う。中野信子さん『脳の闇』を読んだ。帯には「衝撃の論考!」と記されていて、まあ間違ってはいないと感じる。 各章は独立したテーマでつづられているが、全体を通して脳の機能の不思議さ、奇妙さ、複雑さをめぐる論述だ。 「承認欲求と不安」「脳は自由を嫌う」「正義中毒」「健康という病」「ポジティブとネガティブのあいだ」「やっか…

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言えないけれど言葉にしたい

中野信子さんの「孤独な脳、バカになれない私」という連載記事をまとめたものを、強く惹かれ読んでいる。なぜ惹かれるのかというと、氏が幼少のころから周囲との違和感を感じつつ長じてきた履歴や、その孤独である自分のことを、かなり赤裸々に、いわば、まな板に載せた鯉のように語ってしまっていることだ。勇気のあることだと感じるのだ。 理由は定かではないが、幼いころから周囲との交流が途切れたり壁が出来たように…

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物質や霊魂、ときどき思う戯言

先日の読書会で、世の中には、どうしても理解し難い現象というものがありますという話をした。 ついこのあいだも、不思議としかいえない家の中の物音にびっくり。 部屋のドアが風か何かでバン!と締まったような、大きな物音が二階で鳴った。調べてみると、すべての窓はしまっており、締まりきったドアはなく、みな半開きだった。 そのまえには、目の前の50cm位の距離の空間で、バチッと何かが破裂するよう…

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人工知能との対決で人が負けるわけ

羽生善治さんの『人工知能の核心』という本が面白い。 羽生さんは言わずとしれた将棋世界のレジェンドみたいな方で、永世七冠という称号を持っている。 実際、人工知能に敗北し続けているというのが、将棋対決の結果なのだが(碁の世界でも同様)、その理由について示唆に富む指摘をされている。 ひつとは、対戦経験の圧倒的な豊富さ。 プログラムで動くソフト同士を対戦させると、短時間のうちに、何十万局…

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この時代の平和とは

現代における平和とは、つねなる敵勢力の監視と軍備の増強によって保たれている緊張状態だ。核抑止力は、互いの恐怖心によって抑制されている緊張の中の平衡状態に過ぎない。相手を攻撃すれば、相手も同様の反撃をするだろうという想定のもとで、たがいに攻撃を押し留まっている状態なのだ。 互いを信頼できない以上、その不信感からこのようなバランスの上に成り立っている平和な状態を維持していくこと、これが現実であ…

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いくら見ても誤る

本当のこととは異なって、かならず見まちがえてしまうというものがある。注意深くしていても、なんど見ても、やはり錯覚する。注意が足りなかったとか、うっかりしていたというのでなくて、本質的に見間違う。これには、自分の感覚ってけっこう当てにならないものだ、と痛感させられる。 単純でありながら正しく見ることができない例として、 図にあるようなもの。有名な絵だ。 2つの板のようなものがつながっ…

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無限にたいする感覚について

無限にたいする人間の感覚はあてにならない、とつくづく思う。たとえば無限につづく小数のようなものでもそれは感じられる。 割り切れない割り算の例で、 1/3=0.33333333・・・ と無限に小数点がつづく。 この両辺に3を掛けると、 1=0.9999999・・・ という不思議な等式になる。 0.99999・・・と表わされる数は、じつは1だ。 感覚としてはそれは1より小…

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サルとシェークスピア

無限の猿定理というものがある。 意味は至ってかんたんで、サルが限りなくデタラメにタイプライターを打っていると、いつか偶然に、シェークスピアの作品ができあがっていることもある、という定理。一見納得してしまいそうなお話である。 しかし本当の意味は、偶然性と無限回の試行を考えるときの人間の知性の限界というものを示している、と考えている。 デタラメにタイプライターをサルが打って、偶然作品が仕上…

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ちょっと、宇宙の大きさに思いを馳せる

人間が直感的にわかる距離とか、大きさというもの、これは人間が到達できるところとか、登ることができるところなどの経験から理解している。車で100km走れば、だいたい100kmの実感というものを感じることができる。 ところが経験できないくらいの長い距離とか、大きさというものは直感が働かず、理解しにくい。 そこで、以前の日記にも記したが、具体的にそこまで到達するまでに掛かる時間などを計算してみ…

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限りない大きさについて

ひとり夜に考え込んで時間をだらだらと過ごすことが多い。このごろは、宇宙の広さについてしきりに考える。はたして人間は宇宙の広さに匹敵するような、限りない大きさについて、正しく把握できるのだろうか、きちんと考えることが出来るのだろうか。 生命が地球に誕生してから、生物は進化を遂げて今現在、人間という種(かなり生意気で身勝手な種)に到達したと考えられる。 この生命が始まったところでは、いっ…