梅花8態(大宮公園)

紅梅一凛

誰にもやらぬ梅の紅をんなの炎(河野多希女)

演歌の作詞家は圧倒的に男が多い。女性が男を追って或いは諦めきれないそれでいてどこかに諦観を漂わせる姿が多いのは男性の女性に対する願望だという。
そういえば立原正秋が言う「私の小説のヒロインは私の理想像。実際にいるわけがない」
今の世、演歌が流行るわけがない。ジェンダー論争が活発なのだから。
河野多希女が青春時代を過ごしたのは大正の後半から昭和の初めにかけての1920年代。
いわゆる「モボ・モガ」が流行した時であった。西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象に現れた、当時は先端的な若い男女のことを、主に外見的な特徴を指してこう呼んだ(Wikipedeiaより)俳人河野南畝と結婚して共に俳句活動に力を入れている。ただ南畝を挟んでのバトルがあったかどうかは知らない。想念の中でか。もしかしたら演歌の作詞家と同じかも。そう言えば同じ時代の三橋鷹女にも「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」がある。二人とも一人の男性と最後まで。

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