西光寺(小川町)のカタクリと桜を訪れて

桜と阿修羅道

ほれぼれと桜吹雪の中をゆく
さみしき修羅の一人となりて(岡野弘彦)

桜の咲く時季になると思いだす岡野弘彦さんの歌。殊に古希を越えて傘寿に足を踏み入れた桜の季節の感慨は一層深くなる。
「修羅」・・・六道の天道・人間道の下位にある修羅道に棲む阿修羅。修羅道は常に戦いに明け暮れる世界だ。岡野さんの修羅の原点は大戦の城北大空襲との遭遇だった。巣鴨、大塚など豊島区は死傷者3万3千人、焼失家屋3万4千戸、罹災者16万人の被害、この一帯は焼け野原になった。亡くなった人、怪我した人の手当てなどに大学の入学すると同時に毎日を追われた。その時見たのが咲き誇る桜、この時「桜は嫌いだ」と。もしかしたら多くの人たちが桜への思いが屈折したのかもしれない。しかし時の流れを含めて岡野さんの桜への思いは変化している。多くの桜の歌を詠んでおられる。だがどこかに愁いと怒りが込められているような気がする。
青空の下、満開の桜が散る天道・人間道の世界を歩きながら戦争を知らぬ後人の私たちもまた、修羅道に片足を踏み入れながら一人ひとりが闘いの渦の中でもがいてきているのではなかろうか。社会の中で、会社の中でそして向田邦子が描いた「阿修羅のごとく」のような家族の中で。
眉間に皺を寄せ、遠くをどこか寂しさを漂わせた瞳で見ている少年のような興福寺の阿修羅像をわが身に置き換えてみながら。
今、手元に岡野弘彦さんの歌集「美しく愛しき日本」を置いている。

※日記「小川町散歩」を合わせ投稿しました。お時間がありましたらご覧ください。
https://smcb.jp/diaries/9264748

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