亀戸散歩 ー 秋の花めぐり ー

芙蓉(光明寺)

「行く秋を開ききつたる芙蓉哉」 (尾崎放哉)

私には芙蓉と槿の区別がなかなかつかない。ただ見て芙蓉だろう、槿だろうと「当たるも八卦当たらぬも八卦」の類。多少槿の方が開花が早いのか、なんて思ったりしている。
尾崎放哉—山頭火とともに放浪の或いは漂泊の俳人と呼ばれている。どこの地で見た芙蓉だろうか。
「開ききったる」刀で勢い込んで袈裟懸けに切り落としたような思い。彼とって開ききったと言える時は刹那であったのではないか。何時を思い出していたのだろうか。
私の知っている放哉は吉村昭が書いた伝記小説「海も暮れきる」の1冊のみ。鳥取県から上京し、一高、東大の卒業を経て生命保険会社に入社。それこそエリートとして順風な社会人生活をスタートさせ結婚もした。しかしかれの酒癖が人生を大きく変えてしまった。奥さんとも別れ、放浪の地にあった寺で寺男として糊口をしのいだ。そして酒を口に運ぶ。酒癖が悪く、近くにいた人の評判は冷たい。
吉村昭が同小説あとがきでこう書いている。
「十二年前、放哉の死んだ小豆島西光寺の別院南郷庵に行った。粗末な庵で、その前には「いれものがない両手でうける」という句が刻まれた碑がたっていた。」享年41歳

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