花菖蒲 余滴八話(オフ会・堀切菖蒲園)

舞姫

「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」(静御前)

花菖蒲の名に「舞姫」とあったが、NHKの「鎌倉殿と13人」を見ていなければ、花と標札から静御前を思い浮かべることはなかったような気がする。
「鎌倉殿」に出てくる静御前は義経と共に「おっ?」「へぇ~!」と思わざるを得ないまま姿が消えてしまった。しかし今振り返ると「そうだったかもしれない」と変に納得をしてしまってる。
白拍子、舞女ともいう静御前―—徒然草にある。
「通憲入道、舞の手の中に、興ある手どもを選びて、磯の禅師といひける女に教へて、舞はせけり。白き水干に、鞘巻を差させ、烏帽子を引きいりたりければ、男舞とぞいひける。禅師がむすめ、静と云ひける、この芸をこの芸をつげり。これ白拍子の根元なり」(第225段)
当代一の白拍子と謳われた静御前は母である磯禅師から学んだ男舞と共に歌にも秀でたという。鶴岡八幡宮で頼朝の前での舞について言うまでもない。そしてその中で歌った歌も人口に膾炙している。更に頼朝の妻政子が怒る頼朝を諫め助命の嘆願をし成功したことも同様広く知られている。ただ静御前はそのことにどう思っていただろうか。この菖蒲を見ながら、政子に感謝の念を抱いただろうか。この話は「吾妻鏡」にある。この歴史書は北条家によって書かれ、源氏よりも北条氏に好意的である。政子の温情も・・・
遊女としてのプロである靜御前にとって、もしこの話が事実であるとすれば、政子の心を見透かしていたのかもしれない。なんてこの花の風情と「鎌倉殿」」から思ったりした。
「遊びをせんと生まれけん 戯れせんと生まれけん
 遊ぶ子供の声聞けば 我が身さえこそ ゆるがるれ」(梁塵秘抄)

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