河童・羅漢・道祖神と彼岸花(常泉寺)

只管打座

「衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを不知して 遠く求むるはかなさよ 
譬ば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり・・・」(白隠禅師座禅和讃より)

日本曹洞宗の開祖、道元は行持(ぎょうじ)を強調する。行持とは「修行の持続」或いは「修行の護持」を縮めた言葉で絶えず修行を続けていくことが大切だという意味。その核心が「只管打座」(しかんだざ)と言う。
座禅は悟るための修行の一環ではなく、座禅そのものが悟りの現成(完全な実現)なのである。
正法眼蔵にこう書いている「いまの花開葉落、これ行持の現成なり」と。
「わしたちは教えを守っている、な。おい、尊者眠っているのか?」「・・・・」「それじゃ只管打眠ではないか!」

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