紫陽花七彩(妻沼・能護寺)

白楽天と牧野富太郎

何年植向仙壇上  何れの年にか仙壇(仙境)のほとりに植えたる、
早晩移栽到梵家  いつか移しうえて梵家(寺)に到れる。
雖在人間人不識  人間に在りといえども人識らず、
与君名作紫陽花  君のために名づけて紫陽花となす。

この詩からか源順が日本のアジサイにこの「紫陽花」を充てている。この詩には前書きがある。「「招賢寺に花を着けた1本の木があるが、その木の名を誰も知らない。花は、色が紫で、香りが良く、大変に美しくまさに仙境にふさわしい花である。そこでこの花を紫陽花と名づけた。」
唐文化に憧れていた貴族にとって「そうだ!そうだ!」と一気に「紫陽花」が広まり、現在まで膾炙している。これに噛みついたのが現在朝ドラで活躍中の牧野富太郎博士。
「私はこれまで数度にわたって、アジサイが紫陽花でないことを世人に教えてきた。けれども膏肓に入った病はなかなか癒らなく、世の中の十中ほとんど十の人々はみな痼疾で倒れていくのである」(「植物一日一題」)と悲憤慷慨の態。
これは牧野博士が正しいようだ。一説にはライラックではなかったかとも。
この本を読みながらふと日本の憲法問題を思い浮かべた。
曰く「日本の憲法は押し付けられたものではなく日本自身の手で作られるべきだ」。
でもその内容を私たちが受け入れ、大事にしてきたことは間違いない。紫陽花もこれまで私たちがその起源がどうあれ受け入れてきた。
私は「紫陽花」という表現が好きだ。

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