飯能・能仁寺の紅葉

紅蓮の炎

戦いの紅蓮の炎偲ばせるモミジのくれない今盛りなり(自作)

ここ能仁寺は「飯能戦争」の主戦場になった。
慶応4年(1868)年7月12日(現・暦)、戊辰戦争で敗れた将棋隊の生き残った武士がこの地にあった渋沢栄一の従兄・渋沢成一郎率いる振武隊に合流してここ、能仁寺に陣を張り官軍と対峙した。しかし数時間の戦いで決着が着いた。七堂伽藍を有した能仁寺は灰燼に帰した。それから約60年後、今の本堂を再建、更に仁王門、位牌堂(開山堂)、大書院などを建て現在に至っている。150年前の痕跡を見出すのは難しい。

コメント