「古代史」の日記一覧

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歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾8月

8 月16日松戸市民会館で開催された歴史学講座「創世」古代史研究会松戸 葛飾塾に参加してきました。 専任講師の小嶋秋彦先生の骨折入院で代行講師の松戸櫛田幸弘氏のお話 もわかり易い説明と資料で聞き入っていました。 今回は倭人の東進と稲作で、テーマは稲作の伝搬です。 我々学校で習った稲作は韓国より伝わったのは誤りで中国から直に伝わった のが確実視されているようです。 詳しい資料を駆使して…

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顔面偏差値の高い男達 

 柿沼陽平の「古代中国の24時間-秦漢時代の衣食住から性愛まで-」を読了した。著者は東洋史学者で、早稲田大学文学学術院教授・長江流域文化研究所所長である。本書は、文献史料と出土資料に基づき、中国古代の秦漢時代に生きた人々の服装・食卓・住居から宴会・性愛・育児までを、1日24時間の生活として再現したものである。  本書は、現代からタイムスリップした柿沼陽平という人物が、秦漢時代の一日の生活を体験す…

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歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾7月

7月18日松戸市民会館で開催された歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾に参加してきました。  専任講師の小嶋秋彦先生の骨折入院で代行講師の松戸櫛田幸弘氏のお話もわかり易い説明と資料で聞き入っていました。 今回は諏訪大社の三回目でテーマは、日本史上唯一獣肉[宍]食を許した諏訪大社ー でその背景説明を新本を探しうまくまとめておられていました。 「御頭祭」は重要なお祭りで ユーチューブを駆使して…

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歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾6月

6月14日松戸市民会館で開催された歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾に参加してきました。  専任講師の小嶋秋彦先生の骨折入院で代行講師の松戸櫛田幸弘氏のお話もわかり易い説明と資料で聞き入っていました。 今回諏訪大社の二回目でテーマは、諏訪大社の御頭社と「泉」の神ー地下の水神に対する信仰 とその広がりー でその背景説明をうまくまとめておられていました。 諏訪大社の信仰はかなり重装化し、複雑…

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歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾 5月

5月11日松戸市民会館で開催された歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾に参加してきました。  専任講師の小嶋秋彦先生の骨折入院で代行講師の松戸櫛田幸弘氏のお話もわかり易い説明と資料で聞き入っていました。 テーマは諏訪大社の祭事にみる人類草創期の祈りー元始の諏訪に渡来したメソポタミア文明と「スワ」の語義ーでその背景説明をうまくまとめておられていました。 諏訪大社の信仰はかなり重装化し、複雑な…

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歴史学講座「創世」松戸:出雲大社の奉祭氏族と大国主命の真相

3月8費日松戸市民劇場で開催された歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾に参加してきました。 参加人数も増え27名になり盛会でした。 小嶋先生の代行でやっておられる講師櫛田幸弘氏のわかり易い説明と資料でフアンがふえてきているのでしょう。 テーマは出雲大社の奉祭と大国主命の真相ーキツキ[杵築]の語義と神門郡 ーでその背景説明をうまくまとめておられていました。 出雲大社は最初は杵築神社と言われてい…

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暇な年よりのたわごとt

今日は「古代吉備を語る会」の例会らしいと言うことで、吉備線(今は桃太郎線と言うらしいです)服部駅に来ています。  この会は10数年ぶりで、(おっと3年前にもいちど?)ハガキの案内は無かったのですが、Facebookで情報を得てここまで来てしまいました。  でもどうも今日はコロナ禍の蔓延防止ということで、延期になったらしいです。  おやここは県立大学のすぐそばの駅なんですねー。と初めて降り立った駅…

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歴史学講座「創世」松戸;神功皇后の出自[息長氏]と日子坐王

16日松戸市民会館で開催された歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾に参加してきました。 参加人数も増え17名になり来月は20名を超えそうな勢いです。 専任講師の小嶋秋彦先生の骨折入院で代行講師の松戸櫛田幸弘氏のお話もわかり易い説明と資料で聞き入っていました。 テーマは神功皇后の出自[息長氏]と日子坐王ー「イマス」「ホムティ」は同根語で”マケドニア”ーでその背景説明をうまくまとめておられてい…

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古代史への周回 アラカルト 1

怠け心を 叱咤激励して 又あらたな周回を書き残す事 に致しました。  思えばこのコロナ騒動が始まり問題となる2020年の6月以来の記述となります。 その最終章での提案は結局吾が日本人とはそも何者という 事だと 提案いたしました。 縄文人とは、日本列島に渡来弥生人がくる以前の先住民で、何処から来たかその時期もさまざまです。 弥生人は人類学的には中国人や韓国人と全く同じ新モンゴロイドです。 …

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日本史アップデート「邪馬台国の所在地は」

本日10月19日の読売新聞夕刊に日本史アップデート「邪馬台国の所在地は」がありましたので紹介しておきます。 ここに注目! では近畿説優勢の情勢の中九州説は発掘成果から」見直されているようです。 近年の発掘で奈良では発掘が続き、宮殿跡がみつかり整然たる古代の宮殿のようです。その他墓、や銅鏡、鉄の生産地も発見され近畿説が有力になりつつなっています。 九州説は塁跡が発見され問題が提議されています。

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歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾; 栃木県日光の徳次郎とヘレニズムの都市タクシラー[岩裂]と中央アジアの造仏ー

7日松戸市民会館で開催された歴史学講座「創世」古代史研究会松戸葛飾塾に参加してきました。 専任講師の小嶋秋彦先生が骨折入院の為古代史研究会の松戸櫛田幸弘氏よりお話がありました。 テーマは「栃木県日光の徳次郎とヘレニズムの都市タクシラー[岩裂]と中央アジアの造仏ー」でその背景説明をうまくまとめておられていました。 この講義は1月に一度聞いていますが、再度聴き理解が深まりました。https://s…

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万葉集で読み解く古代争乱

 長い日記になって申し訳ありません。でも、「壬申の乱」はこれで終わりますから、興味のある人は我慢して読んでください。  「万葉集」は天平時代に編纂された歌集で、成立には 勅撰説、橘諸兄編纂説、大伴家持編纂説などがあるが、現在は家持編纂説が有力である。  歌の詠まれた時期は①壬申の乱まで白鳳前期。額田王、舒明天皇、天智天皇、有間皇子、鏡王女、藤原鎌足らの歌がある。②壬申の乱から奈良遷都までの白…

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壬申の乱が起こった理由  額田王との恋物語もあるけれど

 「壬申の乱」を日記に投稿したら、意外とたくさんの方が読んでくれた。だから、嬉しくて、この乱が起こった理由についても投稿したくなった。  ① 強引に・急ぎ過ぎた改革  中大兄皇子は即位前の皇子であったときに中臣鎌足らと謀り、乙巳の変(いっしのへん)を起こした。「乙巳の変」というのは蘇我入鹿暗殺事件である。「大化の改新」というのは、乙巳の変 以後に行われた律令政治(唐の政治制度にならった政治…

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八岐大蛇退治の酒(連載、ヤマタノオロチ③)

稲作や鉄器文化は朝鮮半島経由で日本に伝来したというのが長い間定説になっていました。私は半島ではなく中国から直接伝来したという説です。 水稲稲作が日本で始まったのは北九州というのが定説であり、これを否定するつもりはありません。しかし本格的稲作を持ち込んだのは越人だろうと推測しています。中国南部からベトナム一帯には越人が住んでいた。現在でもベトナムを漢字では越南と書いている。 日本で越国(高志国…

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草薙剣はどこで造られたか?(連載、ヤマタノオロチ②)

2021年07月19日(月)14:55の日記「龍信仰は中国の海神族である倭人が持ち込んだ外来信仰」の続きです。 ヤマタノオロチを洪水で暴れる川と解釈する人が多いようですが、コメントで書いた通り「洪水ではなく、中国からの渡来人(古志)と戦い成敗したと私は記紀を解釈しています。」 スサノオと言えば暴れん坊で、姉のアマテラスは手を焼き高天原から追放します。とても土木作業をするような性格には思えませ…

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歴史学講座「創世」松戸塾;東国[関東]へ進出した垂仁天皇の勢力と船乗りとして渡来した騎馬民族の系譜

28日松戸市民会館で開催された歴史学講座「創世」松戸塾に参加してきました。 専任講師の小嶋秋彦先生が骨折でお休みの為、議題は「東国[関東]へ進出した垂仁天皇の勢力と船乗りとして渡来した騎馬民族の系譜ー鎌倉武士となった武蔵党の原像ー」が櫛田幸弘氏よりありました。 内容は課題Ⅰ 「東国[関東]へ進出した垂仁天皇の勢力ー日本書紀の伝承と毛野国と[群馬県・栃木県]ー 課題Ⅱ に船乗りとして渡来した騎馬民…

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龍信仰は中国の海神族である倭人が持ち込んだ外来信仰(連載、ヤマタノオロチ①)

縄文時代のアニミズムで蛇も神とし敬っていたかも知れないが、日本には元々龍も龍信仰もなかった。龍と言う想像上の動物は中国から弥生時代以後伝播し、仏教と結びつき急速に全国へ広がったようです。 ●ヤマタノオロチ退治の真相 龍信仰は米作と一緒に、弥生人(中国江南地域の海神族・倭人)により持ち込まれた外来の信仰で、縄文人にとっては侵略者の象徴であった。スサノオのヤマタノオロチ退治は縄文系VS渡来海神族(…

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金印「漢委奴国王」は偽物!?

漢委奴国王印(かんのわのなのこくおういん) 1784年,博多湾の志賀島(しかのしま)で発見された印。《後漢書(ごかんじょ)》に,57年光武帝が倭奴国の使節に印綬(天子が臣下に与える綬(くみひも)の付いた印)を与えたとあり,この印はそのたぐいと考えられる。純金製で金印とも呼ばれる。〈漢委奴国王〉と陰刻。奴国は博多付近の小国家で後の儺県(なのあがた)。文献と現物の一致する重要史料だが,偽物説もある…

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☆サクサク古墳巡りこの天皇陵の思い出は薄し【垂仁天皇陵】

墳墓そのものにそれほど違いが無いからしっかり記録しておく事が重要となる 平城京から平城駅に抜けるコース上にある見晴らしのいい天皇陵 お名前聞いてもピンとは来ないが我が国を支えてくださった方なのは間違いない しっかり礼拝を終え単独歩行終盤戦しっかり歩き終えます