釧路で芭蕉と小田嶋隆を想う。軽佻浮薄から軽妙洒脱へ
昨晩、寝しなにラジコでお昼のTBSラジオを聴いた。ラジオキャスターの赤江珠緒さんの番組で「ラジオコラム」を担当していた小田嶋隆さんの追悼コーナーがあったからだ。赤江さんは、コーナーの最後に、小田嶋さんが残していったリスナーへの手紙を読んだが、涙で言葉にならない部分が多々有った。恐らく大好きだった親戚のオジサンが、其の人に「大好きだったよ、ありがとう」と伝える事も出来ずに、「また遊びに来てね」と…
昨晩、寝しなにラジコでお昼のTBSラジオを聴いた。ラジオキャスターの赤江珠緒さんの番組で「ラジオコラム」を担当していた小田嶋隆さんの追悼コーナーがあったからだ。赤江さんは、コーナーの最後に、小田嶋さんが残していったリスナーへの手紙を読んだが、涙で言葉にならない部分が多々有った。恐らく大好きだった親戚のオジサンが、其の人に「大好きだったよ、ありがとう」と伝える事も出来ずに、「また遊びに来てね」と…
今日は午後、俳句史の授業をした。内容は芭蕉の人生と「奥の細道」旅立ち~那須まで だ。 芭蕉の人生は前回 2時間かけて講義済み。それを50分で繰り返し、10分休んで、50分で「奥の細道」旅立ち~那須までを講義。 前半では、特に芭蕉の妻であった寿貞が、芭蕉が伊賀から呼び寄せた甥の桃印と不倫の中になり駆け落ちしてしまったこと。芭蕉が杉風の日本橋の屋敷から、田舎であった深川の芭蕉庵(杉風所有の…
ナンバ歩き、ナンバ走りという日本人古来の歩き方があります。 普通は幼稚園などで歩き方を指導(矯正)されるので、ほとんどの日本人がしない歩き方です。歩くときに右足と右腕、左足と左腕を一緒に出す歩き方と思っていましたが、正しくは腕を前後に振らないで歩く形で、見た目は普通にズボンのポケットに両手を突っ込んでいるのとほぼ同じようですが、そう単純なことでもなさそうです。ただ慣れると疲れずに長距離を歩けるよ…
令和2年10月多賀城跡を、目的があってではなく行きがかりついでに訪問。それ故この日記、熱がこもってないかもしれない。多賀城の所在地:宮城県多賀城市市川城前63 多賀城は神亀元年(じんきがんねん、724)に大野東人(おおののあずまひと)によって創建、陸奥国府(むつこくふ)と鎮守府(ちんじゅふ)が置かれ、約900m四方という広大な城内の中央には、重要な政務や儀式を行う政庁があり、平城宮跡(奈良…
ほっと氏の野鳥の話題 №13 2001年1月 カマドウマは出てきますか 何も悪いことはしてないのに、ただ嫌われるカマドウマ。どうしてコオロギとくらべてカマドウマはいやがられるのか。人の生活の場により近いからだろうか。たとえば、カタツムリとナメクジ。カタツムリは家のなかには入って来ないが、ナメクジはたまに風呂場にいたりしてギョッとすることがある。人は自分のからだの近くには生き物を寄せつけたく…
人が生きるとは、簡単に言えば、 遺伝と環境の相互作用で、自己を表現していくこと。 言い換えれば、自己実現。 自己表現は、 出世やスポーツや学芸などいろいろ。 人は意識があるから、自己をいくらか知りえる。 あくまで表面的で、深いところまでは分からないが。 例えば、出世の場合。 能力を発揮して自己表現となる。 宗教では人々の悩みを救い。 政治では、社会の福利を向上する。 …
令和元年師走、日光街道・草加宿を散策した。 草加駅~河合曽良像~札場河岸公園~松尾芭蕉像~望楼~甚左衛門堰~百代橋~草加松原~神明宮~東福寺~歴史民俗資料館~草加神社 芭蕉は見返り姿。芭蕉と曽良は、離れているが顔を見合わせているようだ。芭蕉は、千住を出発し草加はひとつ目なのに荷物が重いと嘆いている。昔の歩きの旅は大変である。とても真似できない。 大御所の句碑があった。 正岡子規 …