「ノスタルジー」の日記一覧

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バレンタインデーの記憶(独身寮編)

私が社会人になったのは1979年だが、当時のバレンタインデーは義理チョコが乱舞していた。 職場の女子一同から男性社員には1枚ずつ配布されたし、営業社員であれば取引先の女性社員から「営業チョコ」を貰えた。 一方で3/14には女子一同に対してではなく、ひとりひとりにコストベースで3倍返しをするのが当時の掟だったので、給料の少ない若手の男は「3月危機」と呼んで恐れていた。 私は入社してから28歳ま…

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マニアックなレオ VOL17「尾道三部作の世界へ紛れ込んだ日」

大林宣彦監督の映画が大好き。 2012年、尾道三部作と呼ばれる 代表作品のロケ地広島の尾道へ 友達2人を誘って一泊で行ってきた。 ずうっと前から行きたかったけど 大阪から日帰りにはかなり遠くて 行けないままだった。 20代の時に「転校生」を レンタルビデオで観た。 そのノスタルジックで味わい深い 尾道の風景を一発で気に入った。 「さびしんぼう」を観て またさ…

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OB会での再会

昨夜は5年ぶりに大学祭実行委員会のOB会があった。 とは言っても正式なOB会は無いので、私との年齢差が上下3~4年くらいのメンバーによる「なんちゃってOB会」的な会合である。 私達が立ちあげたラフティングサークルのメンバーも初期は大学祭を卒業した者を半強制的に入会させていたこともあって、大体のメンバーはみな旧知の仲であり話も弾む。 いっぽうで卒業後ずっと会っていなかった奴は互いに顔…

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イタズラの記憶

「母のふり見て我がふり直せ」ということもあって、簡単な身辺整理をしていると中高時代の日記が出てきた。 この頃の日記は記載も飛び飛びで、備忘録的な素っ気ない内容のものばかりなので、読み返してみてもあまり面白くない。 ところが、1970年の7月後半には興味深い出来事が書かれていた。 当時私は中3。中高一貫の男子校に通っていたので高校受験がなく、この年の夏休みはのんびり過ごしていた。…

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コクリコ坂から

昨日偶然にTVでジブリのアニメ映画「コクリコ坂から」を観た。 坂本九の「上を向いて歩こう」が流れる1963年の横浜が舞台。 山下付近にある海が見える主人公の家や坂の下の商店街、主人公の通う高校等がノスタルジックに美しく描かれている物語である(一応ラブストーリー)。 もう人生で横浜が最も長く住む街になったが、この時代の横浜は知らない。それでも何故かとても懐かしく感じてしまった。おそら…

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北海道のステーションホテル(後編)

8/6になると大雨の被害は更に拡大し、全国ニュースでもトップで報じられるようになった。 駅の公衆電話で各自の自宅にコレクトコールをして無事であることを伝える。 ガールフレンドの家にも同じ方法で電話をしたようだけど、北海道からの長距離コレクトコールということで拒否される哀れな者が続出したとのこと。 この日の昼頃から雲が切れ始め、4日ぶりに太陽が顔を出した。 天塩川に行くと増水はピークに…

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北海道のステーションホテル(前編)

今朝のネットニュースでJR北海道が一日の平均利用者数が3人以下の42の無人駅の廃止を検討しているという記事あった。 42のリストの中には宗谷本線の雄信内(おのっぷない)という駅も入っていた。 この雄信内駅は天塩川の下流域にあって、大学のラフティングクラブの後輩達がはるか昔に大変お世話になった事がある。 だから、経済合理性の観点から廃駅になるのも仕方がないなぁと思いつつも、とても残念な気持ち…

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1971年の「何でも見てやろう」

先日、母の家に行った際に、段ボール箱の中から古い本が出てきた。 その本は小田実の「何でも見てやろう」であった。 何でこんな古い本が今頃発掘されるのかと思ったが、多分私が大学に進学するために上京する際に実家に置いて来た本を両親が捨てずに保管していたものと思われる。 うす茶色に変色した本の奥付には私の筆跡で「1971.8/15読了」とあった。 高校一年生の夏休みに読んでいたようだ…

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シンデレラ・エクスプレスの君

春は出会いと別れの季節。 今朝の朝日新聞の「天声人語」には、東京駅で4月から遠距離恋愛になってしまう恋人たちを大勢見かけたことが書いてあった。 文中ではチューリップの「心の旅」や太田裕美の「木綿のハンカチーフ」にも触れられていて、天声人語の筆者との年代の近さを実感した。 私自身は幸か不幸か、遠距離恋愛の経験は無い。 ただ、遠距離恋愛になりそうな当事者から話を聞かされたことはある。…

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年度末の情景

私が勤めていた会社は3月決算だったので、毎年今頃は年度末の追い込みの時期であった。 入社して5年目だった1984年の3月は、普段とはちょっと違っていた。 新入社員として配属された私でも営業部で5年目にもなるとかなり仕事に慣れてきて、時々いっぱしの生意気を言うようにもなっていた。 この年は、年度末の営業数字の追い込みという通常業務に加えて、特別プロジェクト的な仕事が重なっていた。 …

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ノスタルジア

身内に不幸があって 田舎に帰ってきました 通った小学校も廃校になって もう30年以上になるけど 跡地にまだ遺物が 雲梯でよく遊んでましたね。 跳び箱やマットも、倉庫の片隅に。 自分とどっちが先に朽ち果てるやら。

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ダスティン・ホフマンになれなかった羊男

少し前に、映画「卒業」がTVで放映されていたので途中から観てしまった。 この映画は1967年に制作されているが、学生時代に渋谷の名画座で初めて観て以来、今回で3回目。 最初に観た時にはサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」や「ミセス・ロビンソン」「スカボロ・フェア」が効果的に使われていて、映像も斬新だと感じた。 そして、様々な葛藤を踏み越えて一途に突っ走る恋愛至上主義…

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春は馬車に乗って(名古屋途中下車編)

大阪に1泊した翌日は何も予定がなかった。 横浜の自宅に戻るだけなら、午前中には着いてしまう。 せっかく馬車に飛び乗ったつもりで家を出てきたのだから、それも味気ないなと思ったが、嫁さんには一泊と言っていたので、急にもう一泊すると痛くもない腹を探られるリスクもある。 となると、名古屋で途中下車して、寄り道するしかないとの結論に至った。 名古屋は幼稚園から予備校までの人格形成の時期を過…

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ノスタルジーに胸を突かれる

私が子ども時代からの思い出探しを始めたのは、今から6年ほど前からです。子ども時代から思春期、学生時代を過ごした東京の、自分の中でのランドマークに当たる場所を、出張のたびに訪れていました。どうしても訪れて、タイムスリップしたくなったのです。 5歳の頃、1人で柵を越えて、馬事公園でサラブレッドに踏みつぶされそうになったことがあります。 その頃、母親の趣味で、「銀の笛」というバレエ幼稚…

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年末魚河岸警備

今日は天気も良かったので、特にこれといった目的もなく散歩がてらに築地の場外市場をぶらついて来た。 年末に築地を訪れたのは、大学4年生だった1978年ぶりである。 以前の日記でも少し触れているが、この年の12/26から12/30までの4日間、毎日夕方の5時から翌朝の7時まで築地の魚河岸で警備のアルバイトをした。 クリスマスが終わると、正月用の魚介類が全国各地から築地に大量に運び込まれ…

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私の「東京物語」

先日本屋で文庫本を物色していたら、奥田英朗氏の「東京物語」が眼に止まった。 奥田氏の著作を読んだのは割と最近で、最初に読んだ「オリンピックの身代金」というミステリー小説が面白くて印象に残り、次に手に取ったのが「向田理髪店」という北海道の寂れた炭鉱町を舞台にしたユーモアとペーソスに溢れた連作短編小説。 彼の経歴を確認すると、1959年岐阜県の出身。名古屋育ちで4歳違いの私には身近に感じられる存…

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ラグビーのこと

昨日の日曜の午後は、スカパーで明治vs慶応と帝京vs早稲田という大学ラグビーの好カード2試合を観た。 天気も良くて本当は生観戦したかったのだが、まだ足が少し痛いのと、熊谷まで行くのが億劫だったのでTV観戦となった。 私は高校時代からラグビーに関心を持ち、大学の入学式の終わった後ですぐにラグビー部に出向いて入部した。 それまでラグビーの経験は全くなかったけど、往年の名プレーヤーで…