さんが書いた連載わが道の日記一覧

会員以外にも公開

『わが道』(82)⑨競争心:詫摩武俊・他(編)『性格と対人関係』シリーズ・人間と性格・第3巻(1544)

上記のタイトルのようなものは、実は取り上げるつもりはもともとなかった。それなら、どうして取り上げることにしたのか。  筆頭編者の詫摩武俊先生は、種々お世話になってきた先輩教授であられる。wakohが、3年生となり、法学部ではなく、教育学部教育心理学科を選択、進学した時、当然「心理学実験演習」は必須だった。心理学科の主任教授で教育心理学科併任教授になって下さった、心理学界の権威高木貞二先生のお名前…

会員以外にも公開

『わが道』(81)⑧『人間性を育てる教育』(1543)

wakohは、帝京大学教育学科の教員としては、社会心理学の観点から、教育の諸問題に研究的に発言することを、いわば自らの課題としてきた。  ある時、慶應義塾大学出版会の編集長と編集者が、アポイントメントを取った上で来訪された。出版会で月刊誌として出している『教育と医学』に是非執筆をしていただきたい、連載していただきたい、との依頼だった。  しかも、「人間性を育てる教育」をテーマにしてとのことだっ…

会員以外にも公開

『わが道』(80)⑦『ザ・ソーシャル・アニマル』の監訳(1542)

帝京大学教育学科での研究・教育について書いていたのだったが、直前の日記では、現在のことに触れた。もう一度『わが道』に戻ってみようか。  その一つとして、タイトルのテーマについて述べよう。その一番最初のきっかけはこうである。wakohが未だICUに赴任して程ない頃、恩師岡部弥太郎先生から、一つの依頼を受けた。それは、岡部先生が「アジア財団」から、アメリカの最新ではない、いわば中古の専門書の寄贈を受…

会員以外にも公開

『わが道』(79)⑥『社会心理学小辞典』の企画・編集・公刊(1540)

たった今、タイトルを先に記してしまった。時期的には、まさにwakohの帝京大学教育学科時代の仕事ではある。だが、実は、もっと早くから委嘱され、その頃のどうにもならぬ忙しさの故に、主たる仕事が帝京大学赴任後になってしまったのである。だから、帝京大学での仕事というよりは、wakohの社会心理学徒としての責務を果たすための仕事だったというべきかもしれない。  社会心理学は、心理学の中でも遅れて盛んにな…

会員以外にも公開

『わが道』(78)⑤幼児の人間関係の指導(1539)

 こんなタイトルを目にされたら、あるいは違和感を覚えられるかもしれない。wakoh自身こんなタイトルでものを書く気はさらさらなかった。  wakohはもとより「幼児心理学」の専門家でもなければ、まして「幼児教育」などよくは知らぬも同然だ。  それなら、何故ということにもなろう。「人間関係」については、とにかくも長年携わってきている。現実の人間関係が巧みだというわけではもちろんないけれども。  東…

会員以外にも公開

『わが道』(77)④魅力と愛の心理学:好きと嫌いの人間関係(1538)

 東大社会心理学研究室に勤めていた頃、wakohはいくつかの学術雑誌の編集委員などを委嘱されていた。例えば、『社会心理学研究』『実験社会心理学研究』『教育心理学研究』などであった。投稿してくる若手・中堅研究者の学術論文を審査して、その採択・小修正・改稿の上、再投稿の示唆・却下などの判断をしなければならないので、責任重大だし、その査読に時間を取られもする。そういうことは今まで述べてはこなかったけれ…

会員以外にも公開

『わが道』(76)③いじめと人権:2つの講演から(1537)

 いじめの問題は、長く、また、根は深い。容易に収まるものではない。  東大時代、否応なしに「いじめ」の問題に駆り出されて、その社会心理学的接近をするようになったことは、比較的最近、『わが道』(70)で論じたばかりである(1524)。  だが、それは東大を退官し、帝京大学に移ったら、それで一応は終了というわけにはいかない。いじめの現象は、ずっと続いているからである。  東大時代のいじめ問題に対する…

会員以外にも公開

『わが道』(75)②HEARTの標準化:『道徳性の診断と指導』(1536)

 直前の日記(1535)に記したように、帝京大学に赴任してみると、事前に選択していた「教育学科」では、wakohの受け入れ態勢がまだ十分に整っておらず、思わぬ事態にも当面したのだった。  東京大学社会心理学研究室では、全面的に受け容れられ、教育にも、学部生のみならず、大学院生の研究指導に重点を置き、はじめ懸念していた大学院修了者の研究職への就職も、予想以上に順調に行き、それどころか「古畑さんの処…

会員以外にも公開

『わが道』(74)帝京大学教育学科での研究と教育①教育の中から(1535)

 自分の辿ってきた道を顧みる『わが道』はようやく東京大学の定年退官、帝京大学への赴任のところまで漕ぎ着けた。  しかし、今現在起こりつつあること、そこで生活しながら、考えたり、思ったり、感じたり、行ったりすることなどにも触れないわけにはいかなくなった。2,3回そんな寄り道をするつもりが、何時の間にか7篇の日記になってしまった。そこで、再び、『わが道』に戻ることとする。  帝京大学に就職するにあた…

会員以外にも公開

『わが道』(73)帝京大学への就任までの経緯(1527)

 直前の日記に記したように、wakohは1992年3月31日に東京大学を定年退官するとともに、その翌日1992年4月1日、帝京大学教授に就任した。  他の大学ではなく、どうして帝京大学に就職したか。もうほぼ30年も前のことだから、それを明らかにしたからとて、誰に、何処に、影響が及ぶことはよもやないであろう。  東京大学の定年は、その当時は、60歳だった。だから、多くの先生方は、いわば引っ張りだこ…

会員以外にも公開

『わが道』(72)還暦そして東京大学定年退官(1526)

 wakohが東京大学に赴任したのは、1977年だった。それから15年間、wakohなりに、研究にも、教育にも、最後には少しは組織の運営にも、精一杯関わってきたつもりである。非力のため、大した成果は挙げ得なかったかもしれないけれども、いわば夢中になってやってきた。  そして1991年6月9日、還暦を迎えた。幸い、それまでは病気らしい病気は殆どしたことがなく、過ごしてこれたのは、目には見えないけれ…

会員以外にも公開

『わが道』(71)大学院社会学研究科に関して(1525)

 これまで、wakohは東京大学での生活を、その殆どは研究と教育について述べてきた。しかし、ここで組織としての東京大学につき、自分の直接関わってきた側面で、触れておくことにしようか。  現在の東京大学は、組織の点でも、明確な大学院大学である。しかし、wakohの在任中は、まだそうはなっていなかった。もちろん大学院は、その当時でも大きな比重を占めてはいたのだが。  wakohは東京大学文学部の教官…

会員以外にも公開

『わが道』(70)いじめに対する社会心理学的接近(1524)

 いじめの問題は、教育界では古くからある深刻な問題である。けれども、その深刻さにも拘らず、教育界ではともすれば、それを過少視する、ないしは無視する傾向すらあった。  wakohは小・中学校の教育現場にいたわけではないので、問題を感じつつも、その問題に頭を突っ込むことは控えてきていた。  だが、今まで黙っていたのだが、実は次のようなことを契機として、否応なしに接近していくこととなった。wakohの…

会員以外にも公開

『わが道』(69)放送大学への出演・サービス(1523)

 今までwakohは東京大学での主たる任務である、研究と教育のことについて主として語ってきた。だが、立場上、もっと広い観点から発言したり、論評したり、サービスしたりすることなども求められるようになってきた。それを意固地にすべて辞退することはしなかった。可能な限り、それらにも応じるように努めた。ただ時間との兼ね合いだ。  その一つに、放送大学でのテレビを通しての講義もあった。今現在、何時果てるとも…

会員以外にも公開

『わが道』(68)「国際社会心理学シンポジウム」(1522)

 時間的に後先が逆になってしまった。どうしようかとも思ったけれども、やはりこれは日本の社会心理学にとっては逸することの出来ないイヴェントではあったので、遅まきながら一言しようか。  前々から見てきているように、日本の社会心理学は残念ながら後れを取っていた。最先端を行くのはアメリカだった。そこで、我が国の実験社会心理学のトップのお一人、「日本グループ・ダイナミックス学会」の事実上の創設者のお一人、…

会員以外にも公開

『わが道』(67)発達社会心理学講座の企画・『社会的行動の発達』の実現(1521)

 国際心理学会議・第20回大会が1972年に日本で初めて開催された時、wakohは一つの極めて重要なシンポジウム「心理学における過程と問題としての斉合性(Consistency)」に日本人の研究者としてはただ一人参加し、発表することになったのは、すでに何度か触れたとおりである。今それを蒸し返そうとするのでは全くない。そうではなくして、そのシンポジウムでwakohとともに発表された女流臨床社会心理…

会員以外にも公開

『わが道』(66)教育社会心理学・発達社会心理学③学級心理学の基本問題(1520)

 今まで見てきたものとは、ガラッと調子を変えて、教育社会心理学の基本問題の一つ学級心理学との関わりを述べてみようか。 wakohは、東大社会心理学研究室に赴任以来、極めて忙しい日々を送っていた。その一端はここでの日記からも窺い知れるであろう。  ところが、ある時アポイントメントの後、突然ある編集者からの訪問を受けた。その時点では未知の方だった。中堅の教育出版社のある雑誌の編集長だった。慶應義塾…

会員以外にも公開

『わが道』(65)教育社会心理学・発達社会心理学②価値観研究に(1519)

 道徳性のことなどを記すと、堅苦しいとか、興味がないとか思われそうだ。けれども、wakohはこんなテーマに深く関わってきたのは事実だから、致し方ない。それは東大退官後にも続くので、そこでもう一度論じたい。  ところで、道徳性の問題は道徳的価値の問題と言える面もあるだろう。では、誰しもがごく当たり前に口にしている「価値」とは一体何だろうか。  それを論じるには、一巻の書をもってしても足らないであろ…

会員以外にも公開

『わが道』(64)教育社会心理学・発達社会心理学への思い①道徳性テストの開発(1518)

 次に、第4の柱としての、教育社会心理学ならびに発達社会心理学への思い、およびその実践について簡単に述べよう。  前からたびたび言及してきているように、wakohは教育心理学出身の社会心理学徒である。東大に赴任した当時は、東大創立百周年の時期でもあった。文学部出身の先生方が、教育学部新設にあたり、教育学部教官となられた。ところが、文学部に社会心理学研究室が創設されるにあたり、百年の歴史の中で、教…

会員以外にも公開

『わが道』(63)対人関係の社会心理学(1517)

 急に現代、いや現在に戻って、目下の火急の課題、新型コロナウイルスの蔓延、そのただ中にあって、コロナワクチン接種の予約のことなどに触れた。それを揺るがすことは出来ない。けれども、再び『わが道』に立ち返ろう。 念のために繰り返すが、東京大学社会心理学研究室に移籍せざるを得なくなって、wakohの建てた四本柱のうち、社会心理学徒要請の課題と、国際比較研究・学際研究への参加につき、述べてきた。 そ…