直前の日記に記したように、wakohは1992年3月31日に東京大学を定年退官するとともに、その翌日1992年4月1日、帝京大学教授に就任した。 他の大学ではなく、どうして帝京大学に就職したか。もうほぼ30年も前のことだから、それを明らかにしたからとて、誰に、何処に、影響が及ぶことはよもやないであろう。 東京大学の定年は、その当時は、60歳だった。だから、多くの先生方は、いわば引っ張りだこ…
wakohが東京大学に赴任したのは、1977年だった。それから15年間、wakohなりに、研究にも、教育にも、最後には少しは組織の運営にも、精一杯関わってきたつもりである。非力のため、大した成果は挙げ得なかったかもしれないけれども、いわば夢中になってやってきた。 そして1991年6月9日、還暦を迎えた。幸い、それまでは病気らしい病気は殆どしたことがなく、過ごしてこれたのは、目には見えないけれ…
これまで、wakohは東京大学での生活を、その殆どは研究と教育について述べてきた。しかし、ここで組織としての東京大学につき、自分の直接関わってきた側面で、触れておくことにしようか。 現在の東京大学は、組織の点でも、明確な大学院大学である。しかし、wakohの在任中は、まだそうはなっていなかった。もちろん大学院は、その当時でも大きな比重を占めてはいたのだが。 wakohは東京大学文学部の教官…
いじめの問題は、教育界では古くからある深刻な問題である。けれども、その深刻さにも拘らず、教育界ではともすれば、それを過少視する、ないしは無視する傾向すらあった。 wakohは小・中学校の教育現場にいたわけではないので、問題を感じつつも、その問題に頭を突っ込むことは控えてきていた。 だが、今まで黙っていたのだが、実は次のようなことを契機として、否応なしに接近していくこととなった。wakohの…
今までwakohは東京大学での主たる任務である、研究と教育のことについて主として語ってきた。だが、立場上、もっと広い観点から発言したり、論評したり、サービスしたりすることなども求められるようになってきた。それを意固地にすべて辞退することはしなかった。可能な限り、それらにも応じるように努めた。ただ時間との兼ね合いだ。 その一つに、放送大学でのテレビを通しての講義もあった。今現在、何時果てるとも…
時間的に後先が逆になってしまった。どうしようかとも思ったけれども、やはりこれは日本の社会心理学にとっては逸することの出来ないイヴェントではあったので、遅まきながら一言しようか。 前々から見てきているように、日本の社会心理学は残念ながら後れを取っていた。最先端を行くのはアメリカだった。そこで、我が国の実験社会心理学のトップのお一人、「日本グループ・ダイナミックス学会」の事実上の創設者のお一人、…
国際心理学会議・第20回大会が1972年に日本で初めて開催された時、wakohは一つの極めて重要なシンポジウム「心理学における過程と問題としての斉合性(Consistency)」に日本人の研究者としてはただ一人参加し、発表することになったのは、すでに何度か触れたとおりである。今それを蒸し返そうとするのでは全くない。そうではなくして、そのシンポジウムでwakohとともに発表された女流臨床社会心理…
今まで見てきたものとは、ガラッと調子を変えて、教育社会心理学の基本問題の一つ学級心理学との関わりを述べてみようか。 wakohは、東大社会心理学研究室に赴任以来、極めて忙しい日々を送っていた。その一端はここでの日記からも窺い知れるであろう。 ところが、ある時アポイントメントの後、突然ある編集者からの訪問を受けた。その時点では未知の方だった。中堅の教育出版社のある雑誌の編集長だった。慶應義塾…
道徳性のことなどを記すと、堅苦しいとか、興味がないとか思われそうだ。けれども、wakohはこんなテーマに深く関わってきたのは事実だから、致し方ない。それは東大退官後にも続くので、そこでもう一度論じたい。 ところで、道徳性の問題は道徳的価値の問題と言える面もあるだろう。では、誰しもがごく当たり前に口にしている「価値」とは一体何だろうか。 それを論じるには、一巻の書をもってしても足らないであろ…
次に、第4の柱としての、教育社会心理学ならびに発達社会心理学への思い、およびその実践について簡単に述べよう。 前からたびたび言及してきているように、wakohは教育心理学出身の社会心理学徒である。東大に赴任した当時は、東大創立百周年の時期でもあった。文学部出身の先生方が、教育学部新設にあたり、教育学部教官となられた。ところが、文学部に社会心理学研究室が創設されるにあたり、百年の歴史の中で、教…
急に現代、いや現在に戻って、目下の火急の課題、新型コロナウイルスの蔓延、そのただ中にあって、コロナワクチン接種の予約のことなどに触れた。それを揺るがすことは出来ない。けれども、再び『わが道』に立ち返ろう。 念のために繰り返すが、東京大学社会心理学研究室に移籍せざるを得なくなって、wakohの建てた四本柱のうち、社会心理学徒要請の課題と、国際比較研究・学際研究への参加につき、述べてきた。 そ…