「新田次郎」の日記一覧

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新田次郎 の 短編集「梅雨将軍信長」

★3.5 8つの短編と1つの中編。技術者や科学者を主人公にした時代小説を新田次郎は「時代科学小説」と呼んでいたらしい。 【梅雨将軍信長】 後梅雨期の豪雨に奇襲し桶狭間で運をつかんだ信長。更には梅雨の中休みを待ち、大量の鉄砲で武田を破る長篠合戦。いずれも気象条件を予知した成果である。だが最後は、天気次第で気が変わると言われた明智光秀に・・・。 【鳥人伝】 飯嶋和一の「始祖鳥記」と同…

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「地下鉄に乗りたくなった浅田次郎の『おもかげ』」

浅田次郎の『おもかげ』を読み終わった。450ページもの大作だが、読み安い。 「涙なくして読めない最終章。新たな代表作」 「孤独の中で育ち、温かな家庭を築き、定年の日の帰りに地下鉄で倒れた男。切なすぎる愛と奇跡の物語。」 本書の冒頭は『たそがれとともに雪が落ちてきた』。一発でノックダウン。例えばこんなところも心を持っていかれる。 「正気を欠いてしまった夫婦を別れさせないよう、堀田は心を摧(く…

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140、『孤高の人(下)』(2)加藤は、単独行でない山行で遭難死せし

ー湯俣まで行くには、5日間ろくろく食べていない彼の涸れ果てたエネルギーの総てを上手に使わなければいけない。  両足の凍傷はさらに上部に浸蝕していったもののように思われた。動かない足は歯がゆいばかりだった。  新納友明が話しかけて来た。  そこには新納友明のかわりに、雪をかぶった木の根っ子があった。  10数年前に病死した新納友明の幻視を見た。 「おれは幻視幻聴なぞには負けないぞ。単独行できたえ上…

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140、『孤高の人(下)』(2)加藤は、単独行でない山行で遭難死せし

ー湯俣まで行くには、5日間ろくろく食べていない彼の涸れ果てたエネルギーの総てを上手に使わなければいけない。  両足の凍傷はさらに上部に浸蝕していったもののように思われた。動かない足は歯がゆいばかりだった。  新納友明が話しかけて来た。  そこには新納友明のかわりに、雪をかぶった木の根っ子があった。  10数年前に病死した新納友明の幻視を見た。 「おれは幻視幻聴なぞには負けないぞ。単独行できたえ上…

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140、『孤高の人(下)』(1)加藤は、単独行でない山行で遭難死せし

『孤高の人(下)』 新田次郎著 新潮文庫 昭和48年2月27日発行 ー速歩、単独行でヒマラヤ貯金をしていた社会人登山家加藤文太郎は、慕われた宮村健とのパーテイ登山で遭難死する。この小説の(下)は、とにかく、読み苦しかった。(上)では、単独行を全力で精一杯見事に行う行動を、(下)では、単独行を社会で行うときの難しさ、他人と行動することの難しさなど、を知らされた。行動すること、生きることは、人間にと…

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139、「孤高の人」(上)(新田次郎著)は加藤文太郎の冬山単独行の話なり

『孤高の人(上)』 新田次郎著 新潮文庫 昭和48年2月28日発行 ーこの小説は、新田次郎著で僕がまだ読んでない小説で、2人のメールで知り合った方が、新田次郎の代表作でお勧めだと言ったので、探して、読み始めたが、これは凄い生き様であり、その生き方がまっすぐで面白く感動して、やっと上を読了した。 ー「不世出の登山家だ。登山家を山にたとえたとすれば富士山に相当するのが加藤文太郎だと思えばいい」 「昭…

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137、『富士に死す』(新田次郎著)は富士講の身禄という行者を描く

『富士に死す』 新田次郎著 文春文庫 2004年5月10日発行 ー富士山信仰は、それまでは木花開耶姫を祭神としていたが、僧末代が浅間大菩薩を信仰し、神と仏が合体して、富士行即ち富士講の基礎を固めて以来、富士信仰は急速に大衆化した。 「富士山では登山のことを禅定というのだ」 「あなたは月行様ではございませぬか」  伊兵衛は、月行との夜のことを本町の喜左衛門にくわしく報告した。 「月行様は無理をする…

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国家の品格

気象庁に新田次郎がいた。山も好きだっだ。司馬遼太郎がまだ産経新聞社にいた頃、新田次郎に講演を頼むために、気象庁を訪れた。新田次郎は私用の用件のため近くの喫茶店で話をしたと。新田次郎は年間の日程表をみて埋まっていると。空いている日があったが、風邪をひく場合もあるから、年に数日空けてあると ある時、司馬遼太郎が数学者の藤原正彦に会って、あの新田次郎さんの息子なら大丈夫だと語ったとか 数日前のテレ…

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新田次郎著「富士山頂」は体験見事小説化せし

「富士山頂」 新田次郎著 文春文庫 2012年6月10日発行 ー一瞬富士山頂は真昼のように明るくなった。そのときの強風がマグネシウムの閃光を光芒にに変えた。光芒は数メートル流れて消えた。深田調査官はそれをとらえたのであった。  視通テストは終わった。中継所の必要はなくなった。  相模無線の植松営業課長もそれぞれ提出した自社のそれとを見比べて心配そうな顔をしていた。  相模無線の営業課長の植松はそ…

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1日1首(令和元年9月16日~9月20日)

令和元年9月16日 「山交」の閉店セール文房具、ボールペンなど安価で買うや     9月17日 社長より草取りやったお礼だと1万円を頂いたなり     9月18日 中学の同級会の通知受け参加するとう返事を出せり     9月19日 初めての利用者さんの送迎にトカゲ玄関ウロチョロしおり     9月20日 義隆の1歳7か月目の日自力でヨタヨタ歩いているや 川村著「億男」では現代のお金と幸…

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新田次郎著「芙蓉の人」は明治の偉大な1女性描く

「芙蓉の人」 新田次郎著 文春文庫 2014年6月10日 新装版発行(1975年5月発行) ー460ミリメートルで、その水銀晴雨計は機能を失った。  460ミリメートル以下に至りては、惜しいかな、その正鵠を得る事能わざりし。 「野中到の命に掛けてのお願いだ。里に帰ったら、野中夫婦は元気だったと云ってくれ」(明治28年10月)  死を覚悟した夫が恵造と熊吉に元気でいたと云ってくれと哀願したそのこと…

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新田次郎著「栄光の岩壁」(下)岳彦、マッターホルン北壁に登攀する

「栄光の岩壁」(下) 新田次郎著 新潮文庫 昭和51年10月30日発行 ー竹井岳彦はフリッシュに就職した。  社長の稲沢鉄太郎が岳彦を呼んだ。  「とんでもない。しばらく宣伝の方からおりているだけでいいのだ。君のおかげで、サッサは売れて売れて困っている。他の工場にも作らせようと思っているくらいだ」  外は空っ風が吹いていた。岳彦は、その乾いた、寒い木枯らしの風の中を、足を引きずりながら歩いていた…

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新田次郎著「栄光の岩壁」(上)を読む、面白い

「栄光の岩壁」(上) 新田次郎著 新潮文庫 昭和51年10月30日発行 ー今のところ、新田次郎の山岳小説を幾冊も読んだが、皆,面白かった。感動した。 ー兄の四郎は岳彦と同じ中学校の4年生だった。 「死ぬってことは、なくなることさ、なくなるから、どうにもならない」  四郎は、死を虚無的に解釈して、そう言ったのではなかったが、岳彦にはなくなるということが、悲壮感を越えて、なにかすばらしいことのように…

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「劔岳 点の記」(新田次郎著)を読んだ

「劔岳 点の記」 新田次郎著 文春文庫 2006年1月10日発行 ー英国山岳会とは、英国の貴族階級を中心として発達した山登りの会である。  ただ山に登ることを楽しむ者だけが集まった、言わば山遊びの会であって、金がある者のみがこの会に入っている。 「わが陸地測量部は地図を作ることを本分としている」  柴崎芳太郎には、大久保少将が、問題は中部山岳地方の測量に関することだということはほぼ想像された。 …

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新田次郎著「八甲田山死の彷徨」を読んで

「八甲田山死の彷徨」 新田次郎著 新潮文庫 昭和53年1月30日発行 ー「1月から2月にかけて雪は深いし、風も強い。とても歩けたものではねえ。無理に行こうとすれば死ぬより他に仕方がねえところだ。死ぬことが分かっていて行く者はばか者だ」  今回の雪中行軍中最も困難なる区間は増沢、田代、田茂木野間と存じ候。 徳島大尉は、さわ女に案内料として50銭玉1個与えて、 「案内人は最後尾につけ」  と大きな声…

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「聖職の碑(いしぶみ)」(新田次郎著)を読む

「聖職の碑」 新田次郎著 講談社 昭和51年3月24日発行 ー樋口裕一はそこでひと息ついて言った。 「人間それぞれの個性を尊重した信玄は偉いし、自分の気持ちを大事にした二人も偉かった。福与城は武田信玄にほろぼされたと覚え込むことはまことに簡単だが、そのかげに、人間尊重の裏話があったことを忘れてはならない」  「たしか去年の「白樺」の三月号だったと思う。津田青楓という人が書いた「長尾看護手」という…