さんが書いた連載家族の日記一覧

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歳末も益々近い―親・兄弟のことなどを想って(1952)

 今年もはや12月27日。あとわずか4日を余すのみ。歳末も待ったなしだ。  wakohはあちこちガタが来ているものの、どうやら年は越せそうではある。  顧みると、92歳6ヵ月は超えた。何時の間にか、古畑の一族の中では、最年長になってしまった。  父は、歳のわりには元気で、倒れた日(1971年12月25日)も現役(警察庁科学警察研究所長)として出勤。和田寿郎札幌医大教授の功を焦っての日本…

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家内の誕生祝に、娘の一族来訪(1922)

  家内は10月4日、89歳の誕生日を迎えた。7年9カ月前に、娘とともに、娘の凝っているキルトの、国際キルトフェスティバルに出掛けた際、会場で突然倒れ、腰椎の圧迫骨折だった。  かなりひどい痛みだったらしいが、ともかくもそれを乗り越え、リハビリを兼ねてデイサービスに行くようになってから、すでに7年半に近い。熱心にリハビリに励み、幸い要介護1から、要支援2に改善。週に2日は今も休むことなく、通っ…

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曾孫娘との対話(1916)

 曾孫2人がやってきたのは、17日(日)のことだった。と言っても2人だけで来られるはずはない。  上の曾孫娘Aチャンは、まだ3歳10ヵ月。弟のRチャンはちょうど2歳の誕生を迎えた処なのだから。  孫娘Kさんと、その亭主U.T.君に連れられてきたのは当然のことだ。  実は、何度となく行ってもいいかとの問い合わせも受けていた。ところが、そんな時に限って、他の用事があったりして、結局、正月、五月…

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家内の歩んだ道の中から(1912)

 直前の2つの日記で、wakoh自身ならびに家内のデイサービスでの様相を瞥見した。  自分勝手な、世間知らずのwakohは、これまでに「趣味人倶楽部」の中で、自分の歩みを何回か述べたことがある。 ・我が家の履歴から ・社会心理学徒への道 ・続・社会心理学途への道 ・わが道 などがそれである。「わが道」だけで100篇になる。また多少の重複などもあったかもしれない。力点の置き所に…

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妹の死去 : 通夜・告別式を終えて(1896)

また数日、日記も書けなかった。パソコンを開くことすら出来なかった。妹が死去し、その葬儀などがあったからである。  wakohは、7人兄弟だった.wakoh自身は、その4男、4人の兄姉はすべて死去し、残っていたのは、92歳のwakohと、90歳になった妹と、86歳の末弟だけになってしまった。  妹は、パーキンソン病に苦しみ、高級養護老人ホームに入居した。wakohは、久しく気になり続けて…

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小江戸川越でウナギ(1879)

 今日5月19日から21日まで、広島でG7サミットの会合が開催されるという。日本が議長国であり、岸田首相がその議長を務めるという。当然厳戒態勢の中においてだ。世界の主要7か国の首脳が一堂に会しての会議だ。世界情勢にとっても、極めて重要な会議だ。もちろん、日本にとっては、乾坤一擲の準備を重ねた上での会議だ。  とは申せ、リタイアして随分になるwakohにとっては、直接的には何の関連もない。ただ、…

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「母の日」に(1877)

 「母の日」は5月14日だった。もうやがて92歳にならんとしているwakohだが、いつまで経っても、母は偉大だ。母に惹かれる。母を恋したう。父と母なくしては、wakohの存在はあり得ないのだが。  多くの人にとってもそうであろう。だからこそ、「母の日」が設けられているのでもあろう。  子どもたちから、それぞれ、ケーキだったり、花が届けられもした。訪ねてきては、ご馳走を作ってくれたりもした。家…

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結婚65周年(1875)

 wakohが結婚したのは、1958年5月10日だった。日本基督教団信濃町教会においてだった。その披露宴も教会でだった。  それから、もう65年も経ってしまったなどとは、まるでうそのようだ。  その間、よく言われるように、山あり谷ありといったことは一切なかった。終始安定していたように思われる。  wakoh自身は至らぬこと多い人間だが、家内がよく出来ている。家内に支えられることの連続だった…

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wakohにとってのゴールデン・ウィーク(1874)

 恒例のゴールデン・ウィークも終わった。爽やかな晩春ないし初夏の候となった。  今年は、4月29日から5月7日まで、9連休でもあった。国内外の観光旅行なども、復活してきた。  2020年1月以来猛威を奮っていたコロナ禍も、ようやく下火となった。  新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけが、8日、季節性インフルエンザと同じ5類に移行した。療養や感染対策を個人に委ねる「新たな日常」が始まった…

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「老いては子に従え」(1872)

 wakohは現在すでに91歳10カ月を過ぎた。程なく92歳を迎えようとしている。何かにつけて、「老い」を実感するようになってきた。  かつては何でもなく出来たことが、すっかり出来なくなってしまった。俊敏と、人にも言われ、自分でもその気になっていたりもした。 「老いては麒麟も駑馬に劣る」のかもしれない。「麒麟」は一日に千里も走るという名馬。「駑馬」は足ののろい馬。優れた人が、年老いると働…

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近親・友人・知己などの動静に接すると(1836)

 この趣味人倶楽部での日記の中で、wakohは存外自分のことをオープンにしているきらいがある。  自分との関係で、近親・友人・知己のことなどに言及することもある。  子どもたちからは、オープンもよいのだが、余りにもあけっぴろげだとの苦情に接することもある。  確かに、世の中にはいろいろな人がいるものだ。もちろん善意の方も多い。だが、他方には、隙あるとみれば付け込んでくるような人のいるのも事…

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親族による新年会(1824)

 昨1月2日は、親族による新年会だった。いつでも都合の良い時間にということだったが、結局は、一番早い者は9時ころ、一番遅い者でも11時ころまでには、やってきた。  家内による、お雑煮とおせち料理が美味しいとの名目で。  尤も、家内も歳だ。疲れやすくなっている。wakohは一向に役立たずで、ただ座っているだけ。  実は、娘が泊りがけで大晦日にまで、いろいろな準備に当たってくれていた。2日にも…

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もう一つの米寿の祝会(1791)

 ほんの数日前、「こども招待で『いろりの里』へ」と言う日記を記したばかりである。10月30日、1787件目の日記だった。家内が米寿に達したことを祝って、小さな祝会をしてくれたのだった。だが、子ども達は現役世代だから忙しい。全員の都合のつく日など、なかなかない。そこで、取り敢えず、次男の一家が会をしてくれたのであった。   そして、一昨11月5日(土)長女と長男が、会を設けてくれたのであった。会…

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子どもの招待で「いろりの里」へ(1787)

 wakohは、進行がんの患者になってしまったのに、何時しか昨年「卒寿」を迎えることが出来た。  そして、今年、家内は米寿を迎えることが出来た。口の軽いwakohは、ついつい喜んで、2つの日記を記した。  10月4日「家内とも子も米寿へ」(1775)  10月5日「子から母への贈り物」(1776)がそれである。有難いことである。  3人の子どもにも恵まれた。それぞれに、この世での戦いに挑…

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子から母への贈り物(1776)

 直前の日記で、家内の米寿に達したことを述べてしまった。wakohの厚顔無恥をご寛恕いただければ幸いである。  それにも拘らず、温かいコメントの数々に接し、wakohは感激している。(もちろん、家内もそうであろうが、まだ全く見ていないので)  その日記の中で、3人の子どもが与えられたことに少しは触れてある。その3人の子どもは次々に独り立ちしていき、4人の孫も与えられた。  長女の長女は2人…

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家内とも子も米寿に(1775)

 wakohは自分勝手で、自己中心的な傾向がある。自分のことは存外平気で露わにしている。だから、例えば、米寿でも、卒寿でも、その時どきの日記で公にしてしまった。  だが、家内のことになると、勝手に記すわけにもいかない。米寿の細やかなお祝いに、何かしらと思った。だが、家内の曰く。「そんなこと要りません。ただ互いに健康であれればいいですね。」と。  子どもたちからは花が届いたりもした。教会をはじ…

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もう一つの祝会(1731)

 去る6月11日「親族による誕生日祝会」が開かれた。その模様は1716件目の日記に記したとおりである。  ところが、その後、いくつかの意味を含めて、会合を持ちたいから、是非それを受けてほしいとの娘からの有り難い招待があった。初めのうちは、固辞していた。だが、どうしてもと言う。その一方で、自分たちのことを日記に書いたりするのは反対だとの姿勢も崩さない。そんな次第で、受けるにしても、そっと目立たぬ仕…

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親族による誕生日の祝会(1716)

 wakohは一昨日、91歳の誕生日を迎え、たまたまその日が週に一度だけ、それもランチまでしか行かないwakohが、デイサービスと重なり、お祝いしていただいたことを日記に記した。  その2日後、今日、かねての打ち合わせが出来ていたのであろう、親族による誕生日を祝う小さな集いをしてくれた。  実は、子どもたちやその伴侶が、wakohたちは自宅のダイニングの小さなテレビをいつも観ているからと、確かに…

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母の日、結婚記念日(1697)

 このところ数回、ここでの日記で、wakohは交友を回顧する日記を書き始めた。幼稚園時代、小学校時代まで来た。  それは、wakohにとってこそ意味あるにもせよ、この趣味人倶楽部の方々にとっては、恐らくどうでもいいことであったろう。それを承知の上、書いてきたのは、ただwakohの歩んできた過去を顧みるということだけではなく、wakohの歩みを敢えて露呈することを通し、wakohと言う人間がどうい…

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老いては孫娘に教えられ(1675)

 またもや1週間近く空いてしまった。どうしてか。やはり、思いがけなかった、車を避けようとしての、転倒、肋骨の骨折が、少なくとも一つの原因ではあろう。  その後比較的順調に回復してはいるものの、矢張りショックではあった。90年を超える今までの生涯の中では、骨折などは、全く初めての経験だった。我ながら「年老いたり」を否応なしに実感させられた。  心なしか、子どももそれ以降は、何かにつけて気を遣ってく…