さんが書いた連載自分史の日記一覧

会員以外にも公開

− 49歳から51歳(現在)まで −

・平成29年11月 認知症の義母の介護で躁転 ・平成29年末 躁転の反動で傾鬱 ・平成30年1月20日 実母から手紙が届き躁転 ・平成30年3月 躁転の反動で傾鬱 1年間で4回以上躁転と傾鬱を繰り返すことをラピッドサイクル(急速交代)と呼ぶ。双極性障害のレッドラインだ。 平成29年11月から平成30年3月の4ヶ月間で、私はレッドラインを超えた。 原因は、全て外的要因だ。 (もう勘弁してくれ!…

会員以外にも公開

− 48歳から50歳まで(夫婦関係の立て直し) −

48歳でうつ病から双極性障害に診断名が移行し、抗うつ剤を断薬し、それまで見えていなかった《現実》が見えるようになった。 部屋はゴミ(不用品)だらけ、家計は借金まみれ。私は、泣きながらこの二つをなんとか整理した。 残る問題は、破綻しかけていた夫婦関係の立て直しである。 夫とは6年間仕事の相方を組んだ。警備士という仕事は、時として相方に命を預けなければならない場面がある。そんな強固な信頼関係が基礎…

会員以外にも公開

− 48歳から50歳まで(借金の整理と家計の立て直し) −

平成27年2月6日、私はそれまで飲んでいた抗うつ剤を完全断薬した。診断名がうつ病から双極性障害に移行した為だ。 抗うつ剤が身体から抜ける離脱症状の苦しさは、心身共に私をボロボロにした。しかし、抗うつ剤を断薬しなくては双極性障害の投薬を始められない。 抗うつ剤は双極性障害者にとっては覚醒剤にしかならない。 歯を食いしばって【薬抜き】の辛さに耐えた。 抗うつ剤が身体から抜けてくると、現実が見えてく…

会員以外にも公開

− 48歳から50歳まで(ゴミ屋敷の整理) −

【前書き】 48歳から50歳になるまでの3年間は、苦労の連続だった。その苦労は誰に押っ付けられたものでも無い。抗うつ剤という(私にとっての)脳内麻薬が抜けたから見えてきた苦労だ。 苦労のネタは大きく分けて3つだ。それを項目ごとに分けて書こうと思う。 ①ゴミ屋敷の整理 ②借金の整理と家計の立て直し ③夫婦関係の立て直し 生活の全てにおいて、整理と立て直しをを必要とする3年間だった。 ゴミ屋敷(…

会員以外にも公開

− 45歳から48歳まで −

平成25年(2013年) 45〜46歳 ・7月23日 発達障害者支援センターで精神保健福祉士のOさんと出会う ・12月1日 市営住宅に引っ越す 平成26年(2014年) 46〜47歳 ・1月24日 iPhone5sを購入 ・12月3日 自殺未遂 平成27年(2015年) 47〜48歳 ・うつ病から双極性障害へ診断名が移行 ・2月6日 抗うつ剤(SSRIパキシル)断薬開始 曖昧な記憶の中で、…

会員以外にも公開

− 空白の時代 −

精神障害者として認定された42歳から、双極性障害と診断され抗うつ剤を完全断薬した47歳までの5年の間、私には連続した記憶が無い。 日記も書いていないし、お薬手帳にメモ程度の走り書きすら残していない。 主治医に聞いてみたところ、 主治医:抗うつ剤の陰性作用で記憶障害を起こしたのかもね。あの時期は自分を客観視する余裕も無かっただろうし と言われた。 なので、記憶している場面をなるべく時系列だと思われ…

会員以外にも公開

− 警備士時代(下) −

平成18年9月9日 鬼瓦権三と私は結婚した。 権三40歳、私は38歳だった。 勢いで一緒になった、というしか無い。 先の事など何も考えていなかった。 お互い一銭の貯金も無い。 バカとバカが結婚してしまったのだ。 それは、後々嫌というほど痛感することになる。 プロポーズの時に、権三は、 権三:俺がお前を守る! と約束した。 結婚して12年。今でも権三は権三なりのやり方でその約束を律儀に守ってい…

会員以外にも公開

− 警備士時代(中) −

I警備士の噂は色々聞いていた。 『支社一怖い人』 『あの人を怒らせると何が起こるか分からない。考えるのも恐ろしい』 『笑顔を見た事が無い』 『警備の腕はウチの支社一』 などなど。 私が所属していた支社は神奈川県で一番規模が大きかった。隊員も数百名から在籍している。 私は、I警備士と組んで仕事をしたことが無かったが、見知ってはいた。 無駄に顔が怖い人だと思った。 私は密かに『鬼瓦権三』とあだ名を…

会員以外にも公開

− 警備士時代(上) −

私が入った警備会社は、2号警備では業界大手の会社である。 2号警備とは、 ・交通誘導(道路警備) ・雑踏警備(駐車場警備) ・道路規制(規制業務) の主に3種類を指す。 ウチの会社の給与制度で私が納得いかなかったのは、初勤務のひよっ子警備員も在籍30年のベテラン隊員も同一賃金だ、ということだ。 それが我慢ならなかった。 私は、自分より警備が上手な隊員を見つけると支社に押しかけ、 私:今度は○…

会員以外にも公開

− 子猫のメイ −

生家での客間暮らしが始まった。 抑うつ状態は続いていて、通院以外は家から一歩も出られなかった。 『うつ病で貧乏で無職の35歳』 毎日、死ぬことばかり考えていた。 病院帰りのある日、近所の電柱の下にふと目が行った。 紙袋が捨ててあるのだが、それが微かに動いている。 開けてみると、小さな赤ちゃん猫が入っていた。 触ってみると体がもう冷たい。 私はダッシュで動物病院に駆け込んだ。 先生:へそ…

会員以外にも公開

− 離婚 −

元夫(当時は夫)が真性ゲイだとバレ、この結婚が偽装結婚だとバレ、私は激しい抑うつ状態になった。 私が療養という名目で監禁されていた彼の実家からは、親友が救い出してくれた。 私はマンションには戻らず、そのまま生家に向かった。 監禁によって衰弱した私には、他に行く当てが無かったのだ。 生家では、実妹の部屋の横の四畳半が私の部屋として与えられた。 実母には叱られ続けた記憶がある。内容までは覚えていない…

会員以外にも公開

− 元夫の嘘がバレた −

今回の日記を綴っていて、私の記憶が一時期あやふやなことに気がついた。 時系列に沿って起こった出来事を書いているのだが、体感記憶と今いち一致しない。 まあ、仕方ないだろう。 エピソードが満載過ぎるのだ。 ・23歳で画廊に就職 ・27歳で文房具総合商社に就職 ・35歳で警備会社に就職 確かなことは、これだけだ。 文房具の営業補佐の仕事は、とても楽しかった。 社長は、戦後大八車に文房具品を載せて…

会員以外にも公開

− 元夫のこと −

元夫との経緯をザックリ書くと、 ・24歳の時に知人の紹介で知り合う ・3週間後にお付き合いを申し込まれる ・その1ヶ月後に婚約する ・その後7年間同棲する ・私が31歳の時に入籍する ・その1年後に彼の男との浮気が発覚する ・同時に彼が真性ゲイであることが発覚する ・その数年後に離婚 ただ、これだけだ。 そこに、膨大な量のエピソードがくっついている。そのエピソードを振り返ることが出来るのは…

会員以外にも公開

− 初就職 −

23歳の冬に専修学校を退学した私は、生まれて初めての就職活動を始めた。 と言っても『とらばーゆ』を購入し、アパートで読み耽っただけである。 『職業安定所』という存在を知らなかったのだ。 ちなみに『とらばーゆ』は女性の転職情報専門雑誌である。 世間知らずも大概にしろと、自分で自分に突っ込みを入れたい。 銀座を中心に全国展開をしている画廊で求人募集をしてた。 (絵は嫌いじゃないし。初めての面接練習…

会員以外にも公開

− 専修学校時代 −

【文化学院】 与謝野晶子や与謝野鉄幹らが中心となり大正時代に創立した専修学校だ。 私は、この学校の総合芸術科文芸コースに進学した。 吉祥寺駅から徒歩7分のボロアパートに住んだ。 引っ越し荷物の7割が本。他には愛用の勉強机と卓袱台代わりのブリキ箱と布団とラジオと服が少々。 それだけだ。 テレビを持っていないことについては、NHKの集金人と何度かバトルになった。 『必修科目は選択しなくていい』…

会員以外にも公開

− 浪人・短大生時代 −

【文教大学女子短期大学部文芸科】 私の愛する母校である。 ここの学校を選択し受験した理由は簡単だ。入試科目が『現代文・古文・漢文・小論文』だけだったからだ。 当時『国語』だけで入学できる最も偏差値の高い学校だったのだ。 現役で入試を受けて、落ちた。信じられなかった。自己採点をしても、落ちるはずが無い点数を叩き出していたからだ。 内申書の調書が悪すぎたのだ。 即座に浪人することを決意した。 そ…

会員以外にも公開

− 小・中・高校生時代 −

就学時健康診断(小学校に入学する前に受ける身体検査と知能検査)で、私は魯鈍(ろどん)と診断された。 魯鈍とは『愚かで頭の働きが鈍い』ことである。白痴よりマシ、くらいの診断だったらしい。 そんな言葉が通用する時代だった。 小学校低学年の頃から、リンゴで説明されようが、おはじきを使って手を取り教えられようが『数』というものを理解出来なかった。 この辺りから発達障害的要素は表面化していたが、小学校低…

会員以外にも公開

− 幼少期 −

・幼稚園で。椅子に反対向きに跨りガタガタとお馬さんごっこをしていたら先生に叱られ耳を掴まれ物置に放り込まれた。窓に嵌っている鉄格子越しに道行く人とおしゃべりをしていたら、親が呼び出される。 ・幼稚園で。塗り絵として渡されたお姫様が描かれた紙を真っ二つに切り『上半身と下半身の会話』という遊びに興じていたら先生に叱られ耳を掴まれ(以下同文)。 ・幼稚園の時。お遊戯で『石の役』になった。が、勝手に舞台…