『万葉集』を訓(よ)む(その二千八十五)
今回は、一七一八番歌を訓む。題詞に「高市歌一首」とあり、本歌は「高市(たけち)の歌(うた)」である。「高市」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、次のように述べている。 高市 高市黒人であろう。黒人は、巻一(三二、三三、五八、七〇)、巻三(二七〇、二八三、三〇五)に既出。旅の歌が多い。持統太上天皇の大宝元年(七〇一)六月の吉野行幸、同二年十月の三河国行幸に従駕しての歌があり、下級官人であった…
今回は、一七一八番歌を訓む。題詞に「高市歌一首」とあり、本歌は「高市(たけち)の歌(うた)」である。「高市」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、次のように述べている。 高市 高市黒人であろう。黒人は、巻一(三二、三三、五八、七〇)、巻三(二七〇、二八三、三〇五)に既出。旅の歌が多い。持統太上天皇の大宝元年(七〇一)六月の吉野行幸、同二年十月の三河国行幸に従駕しての歌があり、下級官人であった…
今回は、一七一七番歌を訓む。題詞に「春日歌一首」とあり、本歌は「春日(かすが)の歌(うた)」である。「春日」について、金井『萬葉集全注』は、次のように述べている。 ○春日 「春日」は後出一七一九の作者「春日蔵」と同人との説があった。しかし同人ならば僅か一首を隔てたのみで作者名表記が異なることは解し難い。また、同一人ならば二首を一括して記すと考えられる。おそらく別人であろうが、誰とも特定でき…
今回は、一七一六番歌を訓む。題詞に「山上歌一首」とあり、左注には「右一首或云歌」とある。つまり、本歌は、題詞によれば「山上(やまのうへ)の歌(うた)」であるが、左注には「川嶋皇子(かはしまのみこ)の御作歌(みうた)」とあり、題詞に「幸于紀伊國時川嶋皇子御作歌 [或云山上臣憶良作]【紀伊(きの)國(くに)に幸(いでま)しし時に川嶋皇子(かわしまのみこ)の御作歌(みうた) [或は云ふ、山上臣憶良の…
今回は、一七一五番歌を訓む。題詞に「槐本歌一首」とあり、本歌は「槐本(つきのもと)の歌(うた)」である。「槐本」については、金井『萬葉集全注』が次のように注している。 ○槐本 「槐本」は作者の氏の名であろう。次の一七一九歌までそうした略式の作者名が記されている。「槐本」の訓については、⑴ヱノモト、⑵ヱニスノモト、⑶カキノモト、⑷ツキノモトの四種がある。⑴は本草和名に「槐実」に和名恵乃美と註…
今回は、一七一四番歌を訓む。本歌は「芳野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時(とき)の歌(うた)」の二首目。左注に「右二首作者未詳」とあって、この作者はわからない。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 落多藝知 流水之 磐觸 与杼賣類与杼尓 月影所見 一句「落多藝知」は「落(お)ちたぎち」と訓む。「落」はタ行上二段活用の自動詞「おつ」の連用形「落(お)ち」。…
今回は、一七一三番歌を訓む。題詞に「幸芳野離宮時歌二首」とあり、本歌と次歌(一七一四番歌)の二首は、「芳野(よしの)の離宮(とつみや)に幸(いでま)しし時(とき)の歌(うた)」である。なお、次歌の左注に「右二首作者未詳」とあって、この二首の作者はわからない。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥 一句「瀧上乃」は「瀧(たき)の…
今回は、一七一二番歌を訓む。題詞に「登筑波山詠月一首」とあり、本歌は「筑波山(つくばやま)に登(のぼ)りて月(つき)を詠(よ)む一首(しゆ)」である。「筑波山(つくばやま)」について、阿蘇『萬葉集全歌講義』は、次のように注している。 筑波山 茨城県つくば市にある八七七メートルの山。頂きは男体・女体の二峰に分れる。歌垣の行われた山として知られている。都人もこの地に来れば筑波山に登って楽しんだ…
今回は、一七一一番歌を訓む。本歌に題詞はないが、左注に「右二首或云柿本朝臣人麻呂作」とあり、前歌(一七一〇番歌)と同じく、柿本人麻呂の作である。 写本の異同は、一句二字目<轉>と四句四字目<者>。一句二字目は、『西本願寺本』以降の諸本は「傳」とし、更に下に「之」を書き「傳之」としているが、『藍紙本』『類聚古集』『古葉略類聚鈔』『紀州本』に「轉」とあるのを採る。四句四字目は、『類聚古集』『古葉…
今回は、一七一〇番歌を訓む。本歌に題詞はないが、次歌(一七一一番歌)に「右二首或云柿本朝臣人麻呂作」との左注があるので、本歌が人麻呂の作であることがわかる。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 吾妹兒之 赤裳埿塗而 殖之田乎 苅将蔵 倉無之濱 一句「吾妹兒之」は「吾妹兒(わぎもこ)が」と訓む。この句は、一六二五番歌一句他と同句。「吾妹兒(わぎもこ)」は、「吾妹(わぎも)…
今回は、一七〇九番歌を訓む。題詞に「獻弓削皇子歌一首」とあって、本歌は、「弓削皇子(ゆげのみこ)に獻(たてまつ)る歌(うた)」である。前に同じ題詞の「獻弓削皇子歌三首」(一七〇一番歌〜一七〇三番歌)があった。弓削皇子(ゆげのみこ)は、天武天皇の子で、母は天智天皇の皇女、大江皇女である。 本歌には、左注「右柿本朝臣人麻呂之歌集所出」があり、この「右」のさす範囲をめぐって諸説があるが、ここでは阿…
今回は、一七〇八番歌を訓む。題詞に「泉河邊作歌一首」とあって、本歌は、「泉河(いづみかは)の邊(ほとり)にして作(つく)る歌(うた)」である。「泉河(いづみがは)」は、一六九五番歌他に既出、現在の木津川。京都府木津川市一帯はもと泉の郷と呼ばれ、このあたりから下流を泉川と称した。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 春草 馬咋山自 越来奈流 鴈使者 宿過奈利 一句「春草」…
今回は、一七〇七番歌を訓む。題詞に「鷺坂作歌一首」とあって、本歌は、「鷺坂(さぎさか)にして作(つく)る歌(うた)」である。同じ題詞の歌が、一六八七・一六九四番歌にあった。鷺坂(さぎさか)は、京都府城陽市久世を南北に走る旧大和街道の坂で、近江・北陸方面への道筋にあたる。坂のある台地が鷺坂山であり、丘上に久世神社がある。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 山代 久世乃鷺坂 自神代 …
今回は、一七〇六番歌を訓む。題詞に「舎人皇子御歌一首」とあり、本歌は「舎人皇子(とねりみこ)の御(み)歌(うた)」である。 写本に異同はなく、原文は次の通り。なお、五句の二字目は、雨冠(かんむり)に微という字であるが、パソコンのソフトには無い文字なので【雨の下に微】とした。 黒玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏【雨の下に微】麻天尓 一句「黒玉」は「黒玉(ぬばたま)の」と訓む。…
今回は、一七〇五番歌を訓む。本歌は、「舎人皇子(とねりみこ)に獻(たてまつ)る歌(うた)」の二首目。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等叙 一句「冬木成」は「冬(ふゆ)こもり」と訓む。この句は、一六番歌一句・一九九番歌五五句及び三八二番歌一三句と同句。「こもり」の表記の「木」は「こ(乙類)」の訓仮名、「成」は「盛」の省文で、「も…
今回は、一七〇四番歌を訓む。題詞に「獻舎人皇子歌二首」とあり、本歌と次歌(一七〇五番歌)の二首は、「舎人皇子(とねりみこ)に獻(たてまつ)る歌(うた)」である。同様の題詞を持つ歌として、一六八三番歌・一六八四番歌があった。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 捄手折 多武山霧 茂鴨 細川瀬 波驟祁留 一句「捄手折」は「ふさ手折(たを)り」と訓む。この句は、一六八三番歌三…
今回は、一七〇三番歌を訓む。本歌は「弓削皇子(ゆげのみこ)に獻(たてまつ)る歌(うた)」の三首目。 写本に異同はなく、原文は次の通り。 雲隠 鴈鳴時 秋山 黄葉片待 時者雖過 一句「雲隠」は「雲隠(くもがく)り」と訓む。この句は、一五六七番歌一句他と同句。「雲隠」は、ラ行四段活用の自動詞「くもがくる」の連用形で「雲隠(くもがく)り」。「くもがくる」は、「雲の中に隠れる」…