さんが書いた連載金木犀の香る頃に 改訂版の日記一覧

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第22回 最終回

 第二十二章 親たちを越えて  あの個展が終わり、もう二年余り過ぎた。  宰光からは繭子と父の元には、相変わらず肉筆の絵が描かれた年賀状だけは届いているが、瑤子の居ない今、繭子も訪問する理由もないまま時間が経過していた。  そんなある日、久し振りに宰光から封書が届いた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  「ご無沙汰致して居りますが、お元気でお過ごしの事と存じます。実は娘…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第21回

第二十一章 別れの個展  さすがの残暑も十月に入れば秋風が吹いて涼しくなる。  開け放たれた窓から金木犀の香りが漂って来る頃、宰光から個展の案内が届いた。  「画商の要請に応えて今回初の大阪での個展を開催する事になりました。 場所は『アートスペース梅田』期間は十月二十日から二十五日まで」  手書きで(繭子さんのお越しをお待ちしています)と一筆添えられている。  『アートスペース…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第20回

 第二十章 喪服のモデル    純一のいなくなった部屋にはデスクと椅子、シングルベッドだけが残されている。  夫の匂いを消すために、繭子は念入りに掃除機をかけた。  空気の様な存在ではあったが、ぽっかりと開いた空間は何か虚しい。  もし、これがきっかけで本当に愛し合える夫婦に変われるなら、それに越した事はないが、あの純一が本当に一からやり直せるだろうか。 長い別居生活のうちに、新…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第19回

第十九章 別居  千里の事が露見して以来、純一は繭子と殆どと顔を合わす事がない。  朝は繭子が起きない内に出て行ってしまい、夜は繭子が寝静まった頃を見計らって、こそっと帰って来る。  頃合いを見て新しい肌着を出して置くと着替えているから、寝に帰って居るのは確かである。  そんなある日、純一が突然早く帰って来た。まだ昼過ぎである。  きっと父から何か言われたからに違いない。  「話が…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第18回

 第十八章 瑤子の死  「夕べ、亡くなりました。今お通夜です」  宰光からラインが入った時 近畿圏は秋雨前線が通過中で雨が降っていた。  予期していた事態とは言え、現実となると一気に悲しみが涙となって止めどなくあふれ出した。  電話をするにも声が出ない。  「お葬式は?」  「マンションのすぐ近くにある『やすらぎ会館』で、時間は午後一時からです。遠いのにお越し頂くのはは申し訳ありません。…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第17回

第十七章 緩和病棟  瑤子の手術の成功を見届けて帰った二日後の朝、宰光から連絡が入った。  「今日緩和病棟に移りました。取り敢えずご連絡だけ」  えっ!  緩和病棟ってターミナルケアではないのか?  これからは少しずつでも快方に向かって行くはずだと信じていた繭子には思いもよらない成り行きである。  繭子は居ても立っても居られず東京に向かった。  武蔵野医大附属病院には一般病棟とは別に…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第16回

第十六章 亀裂  近頃夫純一の帰宅がいやに早い。    自分一人ならどうでもいい夕食を、夫の為に作るのは煩わしいが、夕食もせずに帰って来る夫を放っておくわけにもいかない。  自分だけの料理を作るのも侘しい物ではあるが、愛してもいない夫の為には、お座なりの料理でも作らなければならない。  夫は時々盗み見をするように繭子を見るが、繭子は素知らぬ振りをして目を合わそうとしなかった。  ただ黙々と…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第15回

 第十五章 奇禍  爽風会の展覧会からひと月が過ぎた。  今年も異常気象なのか、梅雨らしい季節を通り越していきなり夏日が続いている。  (今度はヌードを描かせて下さいね)  宰光の言葉は繭子の脳裏に焼き付いたままである。  瑤子の話からすれば、宰光は繭子のヌードは描いたとしてもそれ以上の事はない筈である。  それでも、長い間夫にも見せた事のない裸身を宰光の前に曝すと言う行為は想像しただ…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一  第14回

第十四章 時には父と娘のように  クラブ『夕顔』にもひたひたと不況の波が押し寄せている。  ここを利用する客たちの多くは社用族である。  自腹を痛めないで接待費で落とせる間は、接待された方が又客を連れて来ると言う好循環が続いていたが、今は何処も経費節減で客は減る一方である。  自腹を切ってでも通って来る客はいるが、彼らはそれぞれお目当てのホステスがいる部課長か役員クラスの客に限られてきてい…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第13回

第十三章 公募展    繭子のもとに爽風会の春季展の案内が届いたのは五月の連休の終わった月曜日であった。  二十年ぶりに瑤子と再会した宰光の個展も丁度去年の今頃の季節だった事を、繭子は思い出した。   案内状には宰光の一筆が書き添えられている。  『繭子さんのお越しを鶴首してお待ちしております。宰光』  鶴首などと言う言葉を繭子は知らなかったが、首を長くして、と言う意味である事は容易…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第12回

 第十二章 画家とモデル   瑤子はぼんやり外の雪景色を眺めていた。  二月に入ると例年にない程強い寒気団が日本の上空に流れ込んだ。  一日に何度も天気情報がテレビに流れる。  (今日も西高東低の強い冬型の気圧配置が続き、東京都区内でも二十センチの積雪が予想されます。交通機関の乱れや道路の凍結に十分ご注意ください)  マンションに隣接しているオートクチュール『ライラック』もさすがに客が…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第11回

第十一章 親、子、孫  息子の剛志からラインが届いた。  「おめでとう御座います。あす遥と帰ります」  「おめでとう。待ってるからね」  夫の純一には、子供たちの進路を相談しても、お前が決めろ、好きなようにしろ、の一点張りで全て繭子任せだった。  それは、純一自身が夫と言うより婿養子のような立場だと思い込んでいたからでもあるが、繭子にしてみれば責任逃れをしているようにしか思えず、甚だ不満…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第10回

 第十章 夫と義父  年が明けた。  新年の二日には、繭子夫婦は実家を訪れるのが例年の習わしである。  それに二人揃って顔を出すのは年に一度しかない。  繭子は気の進まぬ夫の純一を伴って玄関のドアーを開けた。  「おめでとう御座います」  「おう、来たか来たか」  繭子の父親は一杯飲んで上機嫌である。  「さあさあ、堅苦しい挨拶はいいから早く上がれ。いつもご苦労だね。随分忙しそうだがあ…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第9回

第九章 里帰り  十一月も中半、そろそろ紅葉も見頃を迎えつつある。  稲垣靖二は娘の繭子から二十三日に自分の肖像画が届くと言う連絡を受けて何処へも出かけずに待ち構えていた。  配達員が大事そうに抱えて届けたのは、一目で額縁と分かる可成り大きい荷物である。  靖二の家、すなわち繭子の実家は阪神大震災の後、彼自身の平面計画の通りに建てた理想的な建物である。  リビングの北側の壁面には額縁を掲…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第8回

第八章 露見  今日も朝から夫の純一はゴルフに出かけた。  日曜日だからフィットネスクラブも休みだし、クラブで知り合った友達を誘ってランチでもしようかなと思っていたらインターフォンが鳴った。 「どなた?」  「田崎です。ご主人の部下の・・」  「あぁ田崎さんね。今開けます」  田崎幹也は夫の後輩で、普段から目をかけている忠実な部下である。  何度か純一が連れて来た事もあり、繭子は手作…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第7回

第七章 愛と友情   繭子が入浴を済ませてベッドに横たわっていると、静かにドアがノックされた。  「どうぞ」 てっきり瑤子だと思ったら、開けて入って来たのはまさかの瑤子の夫であった。  (来たー)  繭子は思わず身を固くして目を閉じた。  然し、瑤子の夫は静かにもう一方のベッドに横になった。  「繭子さん。さっきは私ばっかりおしゃべりしてごめんなさい。今度はあなたのお話しを聞かせて…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第6回

第六章 着物のモデル  窓を開けるとカーテンを揺らして甘い香りが流れ込んできた。 紛れもない金木犀の香りである。  数年前には九月に咲いていたのに、去年は散々気を揉ませた末、十月の中頃にやっと咲いた。  (あれからもう五か月も経ったんだ)  瑤子の夫の作品に添えられていた手紙には、モデルになるのを少し待って下さいと答えたのだが、今の繭子には自信がついている。  瑤子の夫はあの時の気持ちの…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第5回

 第五章 変身願望  繭子は開け放たれた窓からぼんやり飛行機雲を眺めていた。  それはまるで青空のチャックを開いていくように見える。  小説を読んだり、音楽を聴く事の好きなインドア派の繭子と、サッカーやゴルフに夢中なアウトドア派の純一では元々話が合わなかったのである。  (新婚時代の甘美な肉体関係だけを愛だと勘違いしていたのではないか)  『結婚は恋愛の墓場である』と言われるが、繭子はそ…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第4回

 第四章 男の居場所  外回りの部下たちが三々五々に戻り、退社時間を記録して帰って行く。  「お先ぃ・・・」  「あぁ お疲れさん」  顔を見る訳でもなく、同じ言葉を繰り返す。  純一は部下たち全員が帰ったところで時計を見た。  七時十六分である。  消灯して外へ出ると純一の足は自然に北新地へと向いてしまう。  目的地はクラブ『夕顔』である。  「いらっしゃいませー」  ホステス…

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金木犀の香る頃に 蛙川諄一 第3回

 第三章 疑惑  平日の午前十時過ぎの下りの新幹線はがら空きである。  3号車のE席に腰を降ろし、飛び去って行く窓外の景色をぼんやり眺めながら瑤子夫妻の在りようと自分たち夫婦をあれこれ比べてみる。  自分たちにあんな暮らしがあっただろうか?  夫が普段朝食もそこそこに慌ただしく出てい行くのは仕方がないとして、日曜の朝ぐらいはもっとゆったり出来ないものだろうか?  (一度ゆっくり話し合っ…